異名は「特急つぶし」5府県またぎ280キロ突っ走る 全国最速「新快速」半世紀の旅路
神戸新聞NEXT より 211208
「特急つぶし」。JR西日本が兵庫県を横断し、福井県まで約280キロメートルを運行している「新快速」の異名だ。
リニアと新幹線を除けば全国トップ級の最高時速130キロを出しつつ、これほどの長距離を走る電車は類を見ない。「特急の存在をかすませる」という鉄道関係者や鉄道ファンの感嘆が異名の由縁という。尼崎脱線事故を経て、その進化は快適さに向かっている。(村上貴浩)
三ノ宮から上り線に乗車すると、時速100キロ前後で緩やかなカーブを抜け、芦屋を出発してから一気に加速した。運転席の速度計は130キロに達し、尼崎までほぼ一直線の線路を駆け抜ける。
三ノ宮-大阪間の約30キロメートル区間にかかる時間はわずか21分。「そのスピードは、特急電車と肩を並べるんです」と、JR西日本広報担当の川勝透貴さんが教えてくれた。
■5府県またぎ
速い特急電車でも最高時速は130キロで、それより速いのは唯一、京成電鉄の特急「スカイライナー」だけだ。東京都内から成田空港まで64キロメートル区間で最高時速は160キロに達する。
一方、特急券を必要としない電車では、JR東日本の特別快速と、つくばエクスプレスも130キロだが、それぞれ路線距離は約70、60キロメートルにとどまる。
こう見ると、西は播州赤穂(赤穂市),東は敦賀(福井県敦賀市)まで5府県をまたいで276キロメートルを突っ走る新快速が「特急つぶし」と言われるのも確かに納得できる。
■70年大阪万博
新快速は51年前、国鉄時代の1970年10月1日に生まれた。利用客獲得を巡って阪神、阪急、京阪電鉄などと激しい競争を繰り返す中、ついにスピード勝負で他社を突き放した。
実現できたのには大きく三つの要因があるという。
一つは、私鉄各社に負けない「直線区間の長さ」。海や山など動かすことができない障害物が少なく、明治以来の用地買収の成果で、カーブが少ない直線の線路を実現できた。
二つは「大阪万博」。新快速誕生はまさに開催の年で、大阪への輸送力強化が求められ、国が開発に総力を挙げることができた。
三つは「使い分けできる線路」だ。例えば、尼崎駅には四つのホームに上下線計8本の線路が通っており、複数の線路を臨機応変に使って車両を詰まらせずに走らせることが強みという。
新快速は常にスピードを追い求めてきた。70年当初、三ノ宮-大阪間の所要時間は「23分」。ただ、今のような馬力はなく、芦屋、尼崎にも停車しなかった。
それが21年後の91年には芦屋、尼崎に止まっても4分早い「19分」を達成。駅に停車する時間も切り詰められ、大阪で約50秒、芦屋では約15秒しかなかった。スピード性能は上がったが、遅延すれば回復運転を求めるようになっていた。
そして2005年4月25日、尼崎脱線事故が起きた。
■有料座席導入
「とにかく安全第一。ダイヤにゆとりを持たせることが大きな改善点の一つ」と川勝さんが言う。
今は三ノ宮-大阪間の所要時間を「21分」とし、事故前から2分の余裕を持つことで無理な回復運転をしなくなったという。
車両を進化させる方向性も変わった。川勝さんによると、発進の際に加速させるギア性能を上げて速度も重視しつつ、走行時の振動やブレーキ時のスリップをより抑える性能を強化した。
また、2列の座席を進行方向に向きを変えられる「転換クロスシート」の素材を変えて快適さを追求。19年には一部車両に初めて有料座席車両「Aシート」を導入した。まだ1日上下各2本と少ないが、電源やWi-Fi(ワイファイ)も整備して車内環境の向上に力を入れる。
スピードを磨いた新快速は今、新たな目標に向かって走っている。
三ノ宮から上り線に乗車すると、時速100キロ前後で緩やかなカーブを抜け、芦屋を出発してから一気に加速した。運転席の速度計は130キロに達し、尼崎までほぼ一直線の線路を駆け抜ける。
三ノ宮-大阪間の約30キロメートル区間にかかる時間はわずか21分。「そのスピードは、特急電車と肩を並べるんです」と、JR西日本広報担当の川勝透貴さんが教えてくれた。
■5府県またぎ
速い特急電車でも最高時速は130キロで、それより速いのは唯一、京成電鉄の特急「スカイライナー」だけだ。東京都内から成田空港まで64キロメートル区間で最高時速は160キロに達する。
一方、特急券を必要としない電車では、JR東日本の特別快速と、つくばエクスプレスも130キロだが、それぞれ路線距離は約70、60キロメートルにとどまる。
こう見ると、西は播州赤穂(赤穂市),東は敦賀(福井県敦賀市)まで5府県をまたいで276キロメートルを突っ走る新快速が「特急つぶし」と言われるのも確かに納得できる。
■70年大阪万博
新快速は51年前、国鉄時代の1970年10月1日に生まれた。利用客獲得を巡って阪神、阪急、京阪電鉄などと激しい競争を繰り返す中、ついにスピード勝負で他社を突き放した。
実現できたのには大きく三つの要因があるという。
一つは、私鉄各社に負けない「直線区間の長さ」。海や山など動かすことができない障害物が少なく、明治以来の用地買収の成果で、カーブが少ない直線の線路を実現できた。
二つは「大阪万博」。新快速誕生はまさに開催の年で、大阪への輸送力強化が求められ、国が開発に総力を挙げることができた。
三つは「使い分けできる線路」だ。例えば、尼崎駅には四つのホームに上下線計8本の線路が通っており、複数の線路を臨機応変に使って車両を詰まらせずに走らせることが強みという。
新快速は常にスピードを追い求めてきた。70年当初、三ノ宮-大阪間の所要時間は「23分」。ただ、今のような馬力はなく、芦屋、尼崎にも停車しなかった。
それが21年後の91年には芦屋、尼崎に止まっても4分早い「19分」を達成。駅に停車する時間も切り詰められ、大阪で約50秒、芦屋では約15秒しかなかった。スピード性能は上がったが、遅延すれば回復運転を求めるようになっていた。
そして2005年4月25日、尼崎脱線事故が起きた。
■有料座席導入
「とにかく安全第一。ダイヤにゆとりを持たせることが大きな改善点の一つ」と川勝さんが言う。
今は三ノ宮-大阪間の所要時間を「21分」とし、事故前から2分の余裕を持つことで無理な回復運転をしなくなったという。
車両を進化させる方向性も変わった。川勝さんによると、発進の際に加速させるギア性能を上げて速度も重視しつつ、走行時の振動やブレーキ時のスリップをより抑える性能を強化した。
また、2列の座席を進行方向に向きを変えられる「転換クロスシート」の素材を変えて快適さを追求。19年には一部車両に初めて有料座席車両「Aシート」を導入した。まだ1日上下各2本と少ないが、電源やWi-Fi(ワイファイ)も整備して車内環境の向上に力を入れる。
スピードを磨いた新快速は今、新たな目標に向かって走っている。