ビジネスモデルは「システム」に帰結する。複雑な社会、不確実な今をどう解決できるか
ビジネス+IT より 210915 フリーライター/エディター 大内孝子
「昨今、『ビジネスモデル』という言葉がよく使われるようになったが、色々なものが連携しあう今の社会には『システム性』があり、一歩踏み込むとすぐにシステムの問題になる」と指摘するのは、東京大学名誉教授、大阪大学名誉教授で、システムイノベーションセンター(SIC)副センター長の木村英紀氏だ。実際、私たちの身の回りにある家電を含めたさまざまな工業製品やそれを支えるネットワークなどはすべて「システム」に帰結する。木村英紀氏が、2021年IEEE(米国電気電子学会)の各分野の最高賞であるTechnical Field Awardsの制御部門賞IEEE Control Systems Awardをアジアで初めて受賞したのを記念した講演に登壇し、システムはいかにあるべきか、社会との関わりの中からシステムを捉え直す提言を行った。
東京大学名誉教授、大阪大学名誉教授一般社団法人システムイノベーションセンター(SIC)副センター長木村英紀氏
※本稿はSIC木村英紀副センター長IEEE受賞記念講演会「『ホモ・システーマ』の時代:システム史観の提案」の講演内容を再構成したものです。
⚫︎システムは現代の"デーモン"である
デーモン (注1)という言葉自体、あまり馴染みがないかもしれませんが、「システムは現代のデーモンである」、私はこう考えています。これは今の社会、技術、さらに我々の生活にシステムがいかに大きな影響を与えているか、それをデーモンという言葉で象徴させています
では、システムがなぜそこまで大きな存在になってきたのでしょうか。歴史をさかのぼってみるとこれはある意味必然。その経緯は、技術の進化の方向性をもって読み解くことができます。
注1:一般に鬼神,守護神,悪魔などを意味し,本来は超自然的・霊的存在者を表すギリシャ語ダイモンに由来する語。ホメロスではほとんど〈神〉または〈神の力〉の同義語として扱われ,あらゆるできごとを起こす真の原因と考えられている(平凡社世界大百科事典 第2版より)。デーモンはUnix系のOSにおいて動作するバックグラウンドのプロセスを指す言葉でもある。
これまで工業製品は"1台何役"という形で進化してきました。1つの機械、あるいは装置が数多くの仕事をこなすというように。
たとえばエアコンです。昔は別々の機械だったクーラーとヒーターが1台の中に収まって、使い勝手がよくなり、省エネ効果も上がりました。複合機もそうです。コピー、プリント、Fax、さらにスキャンニングも1台でこなすようになりました。
この「1つの機械への機能の集約」という形での技術の進化、これは実にさまざまな分野に及んでいます。
たとえば、発電し同時に熱も発生する温熱器でもあるという商品「エネファーム」(家庭用燃料電池)。こうした、排熱を利用して動力や温熱を取り出すことで全体のエネルギー効率を上げる技術(装置)を「コジェネレーション」と呼びます。
発電と発熱という2つの機能が統合されることによってエネルギー効率を上げるというように、エネルギー供給システムといった大規模な形でも機能の集約が進んでいます。
システムキッチンは無駄な動線が省けるよう、収納・調理・加熱・洗浄という台所仕事の機能をコンパクトにまとめたものです。だいぶ前に登場した製品ですが、これも機能の統合の一種と言えるでしょう。
極め付きがスマートフォンです。電話・カメラ・コンピューター・マイク・懐中電灯など、たくさんの機能が小さな筐体の中にまとめられています。さらに言えば、最近はスマートテレビが登場し、テレビの画面でYoutubeを見ることができます。これも放送とインターネットという2つの機能が統合されたものと言えます。
さらには、「ワン・ストップ・サービス」として、行政的な手続きなど、これまで複数の部署に分散していた窓口を集約する動きなども進んでいます。
また、統合とはちょっと異なりますが、「Suica」は使用範囲を広げることで多機能になっていった例です。JR東京の切符の代用品として登場し、やがて私鉄、地下鉄に使用範囲が拡大され、現在ではほぼ全国に広がっています。これが今は買い物にも使えるようになっています。
企業の業態もそうです。たとえばガス会社が電力を売る(逆に、電力会社がガスを売る)、銀行と証券の間の垣根が低くなっていくというように。このように、1つの機械や装置が数多くの仕事をこなすようになる、人と装置の機能が拡大していくことは現代のトレンドであり、システムの進化の1つの方向性を示していると言えます。
一方で、システムに囲まれて生きている私たちの生活の質は、それぞれのシステムの良し悪しで大きく左右されます。金融、税制、交通、通信、医療、保険はすでに大きなシステムですし、小売業で言えばコンビニやスーパーマーケットもすでに大きなシステムです。
電力やガス、上下水道といったインフラ、さらにはスポーツや文化、家電までもがシステム化され、さらには自治体や教育、これもシステム化されています。考えてみると、私たちはもう多くのシステムに囲まれているわけです。
もちろん、良いことばかりとは限りません。東京証券取引所、全日空、みずほ銀行などシステム障害のニュースは頻繁に聞こえてきます。その多くが、経済的な損失だけではなく、たとえば交通システムなどの場合、最悪、人身事故にもつながりかねないものになっています。
最近の傾向として、部分的なダウンではなく全面ダウンの割合が急増していると言われていますが、これは反面、よいシステムを作ることがいかに難しいかを表しています。それでも私たちはシステムを作り、使っていかなければいけない現代に生きています。
⚫︎人工物の科学が誕生した「第三次科学革命」
システムについて本格的に語るのに、まず「第三次科学革命」から始めたいと思います。第三次科学革命とは私の造語ですが、1931年から20年足らずの期間に起きた、自然科学ではない、新たな科学──「人工物の科学」──の誕生を指します。
たとえば、1932年の「ブリュンの回路理論の数学化」とは何かというと、「回路理論はある意味では数学である」ことを示した発見です。ブリュンは受動回路網 (注2)の特性を解析する上で一番重要なインピーダンス関数が、数学の正実関数(Positive Real Function)という抽象的な概念クラスと完全に一致することを明らかにしました。
つまり、電気回路の特性を表現する関数と数学の世界で定式化された関数とが完全に一致していることが、これにより証明されたのです。これはしかも完全な一致で、「すべての受動回路のインピーダンス関数は正実関数である」というだけではなく、その逆、「すべての正実関数は必ず電気回路のインピーダンス関数として実現できる」とまで言える、非常に見事な証明です。
図に示すように、20年の間にそれに類することが次々と起こり、さまざまな成果を生み出し、現在のシステム科学技術の基礎になった。これはもう、やはり科学の革命と考えていいと思うわけです。
自然科学ではない人工物の科学が誕生し、システム科学技術の基礎となる(出典:木村英紀氏講演スライド資料より)
注2:コンデンサーと抵抗とコイルの3つの要素をつなぎ合わせて作る回路。真空管やトランジスタなどのような能動素子を含んだ回路(能動回路)が入力した電力よりも大きい電力を出力できるのに対し、受動回路網はエネルギーが発生しない。
なぜ第三次なのかというと、ここで歴史を振り返ります。第一次科学革命はニュートンによる近代科学の誕生です。これはまさに科学革命であり、これこそ大文字の科学革命だと言われます。ニュートン力学の確立はそれぐらい大きな成果で、森羅万象を説明できるようになったということで、人間の中で科学が一挙に大きな存在に、大きな位置を占めるようになります。
その50年後に産業革命が起こりますが、実は、この産業革命の担い手は職人たちで科学とは関係がなかった人たちです。おそらく、科学革命のことを知らない人はいなかったでしょう。しかし、主役になったのは、科学の専門教育を受けた人たちではなく、現場で手を動かしていた人たちでした。
そして、その両者が結婚したと言われるのが第二次産業革命です。ナポレオンの時代、フランスに「エコール・ポリテクニーク」という学校ができます。
これは、今後、技術は科学をベースに発展すべきだという、非常に力強い主張をする一派がその実践のために作った学校です。
科学と技術が車の両輪のように発展していく契機となり、色々なところにエコール・ポリテクニークが作られます。これが、現在のヨーロッパの工科大学のベースになっています。
ただ、科学と技術が蜜月関係になったかというと、そういうわけではありませんでした。やはり技術は科学とは全然違う、というようなことを言う科学者も中にはいましたし、ヨーロッパの古い大学には依然として工学部は存在しません。
という前史に続き、技術が生み出した自然科学ではない科学の誕生です。第二次科学革命の次なので、第三次と呼びたいと思います。一挙に、短い期間にさまざまな成果が生まれた。
先ほど回路理論の話をしましたが、いま我々が日常的に使っているフィードバック理論も、その根幹がこの時期に与えられています。それ以外にも、たとえばオペレーションズリサーチ(OR)、品質管理、制御、予測、こういったものが生み出されました。
中でも、オペレーションズリサーチはシステム化の1つの花形、旗手となります。この人工物の科学は物理学と、少なくとも同程度に深いロジックとそれから広さを持っていると考えていいと思います。
こうして、第三次科学革命、人工物の科学の登場がシステム科学への地ならしを提供することになったわけです。
なぜ第三次なのかというと、ここで歴史を振り返ります。第一次科学革命はニュートンによる近代科学の誕生です。これはまさに科学革命であり、これこそ大文字の科学革命だと言われます。ニュートン力学の確立はそれぐらい大きな成果で、森羅万象を説明できるようになったということで、人間の中で科学が一挙に大きな存在に、大きな位置を占めるようになります。
その50年後に産業革命が起こりますが、実は、この産業革命の担い手は職人たちで科学とは関係がなかった人たちです。おそらく、科学革命のことを知らない人はいなかったでしょう。しかし、主役になったのは、科学の専門教育を受けた人たちではなく、現場で手を動かしていた人たちでした。
そして、その両者が結婚したと言われるのが第二次産業革命です。ナポレオンの時代、フランスに「エコール・ポリテクニーク」という学校ができます。
これは、今後、技術は科学をベースに発展すべきだという、非常に力強い主張をする一派がその実践のために作った学校です。
科学と技術が車の両輪のように発展していく契機となり、色々なところにエコール・ポリテクニークが作られます。これが、現在のヨーロッパの工科大学のベースになっています。
ただ、科学と技術が蜜月関係になったかというと、そういうわけではありませんでした。やはり技術は科学とは全然違う、というようなことを言う科学者も中にはいましたし、ヨーロッパの古い大学には依然として工学部は存在しません。
という前史に続き、技術が生み出した自然科学ではない科学の誕生です。第二次科学革命の次なので、第三次と呼びたいと思います。一挙に、短い期間にさまざまな成果が生まれた。
先ほど回路理論の話をしましたが、いま我々が日常的に使っているフィードバック理論も、その根幹がこの時期に与えられています。それ以外にも、たとえばオペレーションズリサーチ(OR)、品質管理、制御、予測、こういったものが生み出されました。
中でも、オペレーションズリサーチはシステム化の1つの花形、旗手となります。この人工物の科学は物理学と、少なくとも同程度に深いロジックとそれから広さを持っていると考えていいと思います。
こうして、第三次科学革命、人工物の科学の登場がシステム科学への地ならしを提供することになったわけです。
第三次科学革命の意義(出典:木村英紀氏講演スライド資料より)
*自然科学以外の科学(人工物の科学)が存在することを鮮明に示した。
*応用数学を力学・天文学・統計学の世界から大きく解き放った。
*システムの科学への地ならしを提供した。
⚫︎一般システム論からシステム科学へ
システム科学の原点を記すと、「要素還元論」への対立軸として現れた「一般システム理論」が各分野で大きな反響を起こしたことがあげられます。
要素に分解すれば世界は理解できるのだとする要素還元論は、20世紀始めに非常に大きな成功を収めました。しかし、要素還元論になじめない分野であった生物学と心理学を中心に、生物を有機体として捉え、全体をシステムとして考えることでその機能や仕組みを理解しようという動きが起こります。
そのリーダーシップをとったのが、ウィーンで生まれ米国で活躍した生物学者ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィです。1945年に彼が著した『一般システム論』は各分野で恐ろしいほどの反響を呼びました。1950年に行われた米国精神医学会での講演会では二千人以上の聴衆を集め、何百人もの人が場外にあふれたという話です。
一種のブームで、この傾向はずっと続きました。1948年、米国の数学者ノーバート・ウィーナーが『サイバネティックス』を発表。通信と制御が実は生物や社会、機械の共通原理であると捉えて、この3つの世界にまたがる分野横断的な研究分野の確立を目指したものです。
これは、みなさんご存じのように「サイバー」の語源となった概念です。ウィーナーは、小脳に疾患のある患者の「ものを取ろうとしたら行き過ぎる、少し引くと今度は引っ込めすぎる」という動きに着目し、まさにうまく設計できなかったフィードバック制御のハンチングと同じだと直感したことからサイバネティックスの考えが生まれたと書いています。
『サイバネティックス』はすぐに世界10何カ国で翻訳されますが、日本でようやく翻訳が出版されたのは1962年のこと。JRの前進である日本国鉄道(国鉄)が積極的にサイバネティックス理論を導入したという話があります。
鉄道網を身体で言えば血液だとし、社会の血液である鉄道ががんばることによって日本の国全体が向上すると考えたわけです。敗戦当時、まだ苦しい状態にあった日本にサイバネティックスが勇気を与えたと言われています。
一般システム論からシステム科学への展開という点に注目すると、社会科学の非常に多くの人たちが一般システム論を展開していきます。
一般システム論からシステム科学への展開という点に注目すると、社会科学の非常に多くの人たちが一般システム論を展開していきます。
社会学で当時リーダーシップを取っていた一人であるニコラス・ルーマン、歴史学ではイマニエル・ウォーラーステイン、国際関係論ではエリース・ボールディング、経済学ではケネス・ホールディング、ハーバード・サイモンといった人たちが、社会科学にもシステム的な考え方を入れようとして、相当な努力をされました。
つまり、要素還元論への対立軸として登場した有機体論がシステムへの新しい視点を導入したというわけです。
一般システム論からシステム科学へ(出典:木村英紀氏講演スライド資料より)
もう1つ重要なポイントとして、国際応用システム解析研究所(IASA)が1972年に設立されます。実は、米ソ・トップ会談で決まったという、非常にユニークな設立の経緯を持っています。
当時、冷戦の中、ニクソンとブレジネフはデタント(冷戦緩和)において協力していました。東西共通の課題を共同で解析、解決するための研究所として作ろうということで合意して、資金を出し合って、実際にウィーンの郊外に作ったのです。
こうして、食料、人口、環境汚染、貧困、公衆衛生という世界が共有の課題として持つようなテーマについて解決しようという組織が作られ、システムが媒体となって国際協調が始まっていきます。同年に、ローマクラブの調査レポート「成長の限界」が発表されています。
「成長の限界」はMITの教授らがメインとなって、システムダイナミクスを用いた世界シミュレーションを初めてやったというものです。今は気候問題などモデルを使って予測をするというのは普通のことになっていますが、当時としては、世界を対象にモデルを立ててシミュレーションを行うというのは極めて斬新なアイデアでした。
コンピューターのパワーを印象づけるのに大いに役に立った(現代のパソコンの性能でいえば5分くらいで計算できるようなレベルではあるのですが)のと同時に、当時存在していたさまざまなデータを駆使していたことも大きな特徴です。
データをベースにして、このままでは地球は持続可能ではないという警告を発するだけではなくて、たとえば環境汚染に対しこのあたりをきつく制約すればこれくらい改善されるというような手立ても提案しました。こうした点も世の中の評価を得た理由でしょう。
⚫︎MITではデータ、システム、社会にフォーカス
最近の動きとして、MITのことを紹介しておきます。第二次世界大戦後のシステム研究のメッカとして「Engineering Systems Division(ESD)」を設立し,米国だけではなく世界のシステム研究の中心として機能していたMITですが,2015年,このESDを廃止し,「Institute of Data,Systems and Society(IDSS)」という新しい研究機関を組織します。
つまり、米国は国として、大きなターゲットとして「データ(Data)」「システム(Systems)」「社会(Society)」にフォーカスを当てているわけです。これは、注目に値することだろうと思います。
MITは2015年に新たにInstitute of Data,Systems and Society(IDSS)を設立した(出典:木村英紀氏講演スライド資料より)
つまり、要素還元論への対立軸として登場した有機体論がシステムへの新しい視点を導入したというわけです。
一般システム論からシステム科学へ(出典:木村英紀氏講演スライド資料より)
もう1つ重要なポイントとして、国際応用システム解析研究所(IASA)が1972年に設立されます。実は、米ソ・トップ会談で決まったという、非常にユニークな設立の経緯を持っています。
当時、冷戦の中、ニクソンとブレジネフはデタント(冷戦緩和)において協力していました。東西共通の課題を共同で解析、解決するための研究所として作ろうということで合意して、資金を出し合って、実際にウィーンの郊外に作ったのです。
こうして、食料、人口、環境汚染、貧困、公衆衛生という世界が共有の課題として持つようなテーマについて解決しようという組織が作られ、システムが媒体となって国際協調が始まっていきます。同年に、ローマクラブの調査レポート「成長の限界」が発表されています。
「成長の限界」はMITの教授らがメインとなって、システムダイナミクスを用いた世界シミュレーションを初めてやったというものです。今は気候問題などモデルを使って予測をするというのは普通のことになっていますが、当時としては、世界を対象にモデルを立ててシミュレーションを行うというのは極めて斬新なアイデアでした。
コンピューターのパワーを印象づけるのに大いに役に立った(現代のパソコンの性能でいえば5分くらいで計算できるようなレベルではあるのですが)のと同時に、当時存在していたさまざまなデータを駆使していたことも大きな特徴です。
データをベースにして、このままでは地球は持続可能ではないという警告を発するだけではなくて、たとえば環境汚染に対しこのあたりをきつく制約すればこれくらい改善されるというような手立ても提案しました。こうした点も世の中の評価を得た理由でしょう。
⚫︎MITではデータ、システム、社会にフォーカス
最近の動きとして、MITのことを紹介しておきます。第二次世界大戦後のシステム研究のメッカとして「Engineering Systems Division(ESD)」を設立し,米国だけではなく世界のシステム研究の中心として機能していたMITですが,2015年,このESDを廃止し,「Institute of Data,Systems and Society(IDSS)」という新しい研究機関を組織します。
つまり、米国は国として、大きなターゲットとして「データ(Data)」「システム(Systems)」「社会(Society)」にフォーカスを当てているわけです。これは、注目に値することだろうと思います。
MITは2015年に新たにInstitute of Data,Systems and Society(IDSS)を設立した(出典:木村英紀氏講演スライド資料より)
⚫︎社会の変動はシステムに帰結する
今の社会は不確かだと言われます。ですが、社会の複雑さというものを深く考えてみると、システムの複雑さに帰着できるという場合がほとんどだと私は考えています。
不確かな未来に向き合うというのは、つまり増えていく色々な要素を考えなければいけないということです。要は、相手はシステムなのだと認識するしかない。
たとえば、「ビジネスモデル」という言葉が今、非常によく使われるようになっていますが、ビジネスモデルを考えるとすぐにシステムということに直面します。
色々なものが連携し合う今の社会には、ある種システム性があり、一歩踏み込むとすぐにシステムの問題になります。まさにシステムは現代のデーモンで、裏を返すと、社会の変動は自分が使っているシステムの変動と捉えることができます。それによって、つまり、そういう複雑さ(あるいは変動)をシステムの問題として捉えられことで、少なくとも、一歩を進めることはできるのではないか、と思うわけです。
では、いったいシステムとはいかにあるべきなのでしょうか。
第一に、複雑さをむしろうれしいと思うくらいの余裕を持つべきだろうと思います。かつては、自分が作っているものが売れるか売れないかは自分に聞いてくれるなと、自分たちはいいものを作ればいいと言われていました。
そうさせてくれと思っているエンジニアは少なくなかったですし、それで成り立っていた時代でした。
しかし、今はそうではありません。売れるか、売れないかということも研究開発に取り入れるべきでしょう。そうすると、研究開発のやり方が非常に複雑なものになります。けれども、それを苦にしないでやっていただきたいということ。これをメッセージとしてお伝えしたいと思います。
残念ながら「文と理の境界」があるのは事実です。しかしシステムというものは、文においても理においても、決して立ちはだかる壁ではありません。
むしろ、肥沃な可能性を持つ未開地とみなすべきで、広い視野と全体への目配りを忘れず、最適化を目指してほしい。先端技術と社会の接点は常にシステムであることを認識してほしいということなのです。 記事は後編に続く…