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なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その2】 202207

2022-07-15 20:47:00 | 気になる モノ・コト

なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その2】
 Japaaan  より 220715


 後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の最高権力者が頻繁に行った熊野詣(熊野御幸)。

彼らが時間と危険を冒してまで、難路・悪路を踏破して向かった熊野三山とはどのようなところだったのでしょうか。

【その2】では、上皇たちを魅了した熊野三山を構成した寺社について、その概要をお話ししましょう。

前回の記事↓

なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その1】

後白河法皇に次いで2番目に多くの熊野御幸を行った後鳥羽上皇

◆熊野三山と世界遺産を構成する社寺
⚫︎熊野本宮大社
 熊野三山の中心となる神社で、全国に 3,000 社ある熊野神社の総本山にあたります。主祭神の家津御子大神(けつみこのおおかみ)は、神武天皇の時代にインドから飛来し、崇神天皇の65年(4世紀前半)に社殿が造られたと伝わります。

 家津御子大神は、木の神・食を司る神とされ、神話ではスサノオノミコト、仏教では阿弥陀如来と同一視されます。このため、熊野を詣でると来世の安楽を得られるという信仰が広まりました。
 熊野本宮大社は、もとは熊野川の中州にありました。しかし、1889(明治 22)年に大水害にみまわれ、奇跡的に流出を免れた社殿を現在の地へ遷座しました。旧社地は、大斎原と呼ばれ、高さ34mの日本一の大鳥居が建ち神聖な場所として残されています。
 御本殿は、第一から第四殿まで本殿が一列に並び、それぞれに神様がお祀りされている熊野造りという代表的な神社建築です。その姿を今に伝える貴重な建築物で、国の重要文化財に指定されています。
  

⚫︎熊野那智大社
 熊野那智大社が鎮座する那智山内では、原生林の間から豪快に流れ落ちる「那智の滝[飛瀧神社](ひろうじんじゃ)」が神聖視されていました。

 社伝によると、神武天皇が那智の海岸から上陸する際に、この滝を見て神としてお祀りしたとされ、この後、八咫烏の先導により大和に入ったと伝わります。

 当社は、元々はこの那智の滝の側にお祀りされていましたが、今から約1700 年前の仁徳天皇5年に、現在の地に社殿が移され、国作りに功のあった熊野夫須美大神など十三柱の神々が祀られるようになったといいます。
 そして、仏教伝来の後には、修験者が厳しい修業を行う霊地として栄え、権現信仰の場として名を広めました。

熊野那智大社拝殿

 境内には、御本殿・瑞垣・鈴門などの社殿が建ち、 国の重要文化財に指定されています。また、1972(昭和47) 年に建てられた宝物殿には『那智大社文書』 をはじめ絵画、太刀など、貴重な文化財が収蔵されています。

⚫︎熊野速玉大社
 通称「速玉さん」「権現さん」などと親しみをもって呼ばれる熊野三山の一社で、熊野速玉大神、 熊野夫須美大神をはじめ十八柱の神々をお祀りします。神社のはじまりは、景行天皇58年(4世紀前半)とされ、創建以来2,000年を超える古い歴史を持ち、2028年には創建1,900年を迎えます。
 主祭神の熊野速玉大神は、中国の天台山から飛来し、九州などをめぐった末に、熊野速玉大社近くの神倉山にあるゴトビキ岩と呼ばれる大岩に降臨した後、現在の地に遷座したと伝わります。今も、速玉大社から徒歩約15分ほどの神倉山には神倉神社が鎮座し、熊野速玉大神が最初に降臨した聖地として崇められています。

 境内には、美しい朱色で彩られた拝殿・御神門などの社殿が建ち、神宝館には、神社の古い歴史を物語る国宝や重要文化財が数多く収蔵されています。


⚫︎那智の滝 飛瀧神社、那智山 青岸渡寺
 熊野那智大社の別宮、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)のご神体として古くから畏敬を集めてきた名瀑で、「一の滝」と称されます。那智の滝とは、那智山内の瀧篭修行の行場とされた48滝の総称でしたが、 今はこの「一の滝」を指します。

 青岸渡寺開祖と伝えられる裸形上人 や花山法皇も二の滝の断崖上に庵を設けて、3 年間にわたる千日滝篭行をしたと伝えられています。「一の滝」は、落差 133m、滝壺の深さは10m と一段の滝としては、落差日本一で見る者を圧倒する迫力です。

 本尊の如意輪観世音像は、4 世紀にインドから那智に渡来した裸形上人が、那智滝の滝壺で見つけたといわれる観音様です。飛鳥時代には、推古天皇の勅願寺となり、丈六の本尊を安置し、その胎内に裸形上人が感得した如意輪観音を納めたと伝わります。

 桃山時代の様式を今に伝える本堂後方には,那智の滝との調和が美しい三重塔が建ちます。

【その2】はここまで。熊野三山は、神話の時代に期限を発するような錚々たる神社であることをお分かりいただけたでしょうか。

【その3】では、なぜ多くの上皇たちが熊野御幸を行ったのか、後白河法皇・後鳥羽上皇を中心に、その核心に触れていきたいと思います。

◎参考文献
『世界遺産 熊野古道 ~とっておきの聖地巡礼 歩いて楽しむ南紀の旅~』 メイツユニバーサルコンテンツ刊・伊勢・熊野巡礼部著(編集・執筆:高野晃彰)]

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