滋賀県 東近江市上羽田町 円通寺宝篋印塔
上羽田西方、田んぼの中にある共同墓地の中央にある無縁塚の頂上、三界万霊塔と彫られた近世の切石基壇に宝篋印塔が載っている。花崗岩製。無縁塚は多数の中世末期から近世初頭ごろの一石五輪塔や石仏などから構成されるピラミッド状で、昭和18年、境内の石造物を集積し、平成15年5月、集落内にある円通寺境内から移設された旨、石碑によりその経緯を知ることができる。基礎側面は四面とも輪郭を巻いて格狭間を配し、北側のみ格狭間内は素面、他の面は開敷蓮華のレリーフを飾る。格狭間は概ね整った形状ながら両肩が少し下がり、側線のカーブもふくよかさに欠ける。格狭間内はレリーフを中心にやや盛り上がる。基礎上は複弁反花式で抑揚感を抑え傾斜を緩やかにしている。塔身は、月輪や蓮華座を省き直接金剛界四仏の種子を薬研彫する。字体は優れているが、文字そのものは大きくない。西方弥陀のキリークが南面し、反時計回りに90度ずれている。塔身3面に刻銘があるとされ、肉眼での判読は困難ながら、少なくともキリーク面、アク面の左右の空間に刻銘があることが観察される。銘文は「有志者二親十/種子/三年追善□」、「造立也/種子/嘉暦元年(1326年)十月十一日(十月十一日は並記)」、「□□□」とされる。心なしか塔身が大き過ぎる気もするが、様式的に問題は感じないし、石材の質感にも違和感はないので寄せ集めとするには躊躇を感じる。笠は上6段下2段、隅飾は軒と区別し、ほんの少し直線的に外傾する二弧輪郭付。軒口はやや薄い。輪郭内は素面。相輪は伏鉢、上下とも複弁請花、九輪に逓減がほとんど見られず、先端宝珠が低く小さい点は異形といえなくもない。全体のバランスから相輪は若干小さく、風化の程度や質感も違うようにも見える。無縁塚に登り至近距離で触れて観察するようなことは控えたので何ともいえないが、高さ約143cmと5尺塔とするには中途半端に背が低い点も考慮すれば、相輪は後補の可能性を否定しきれない。総じて保存状態は良好で、非常によくまとまった印象を与える。(まとまり過ぎて却って個性的でないともいえる。)鎌倉末期の典型例・基準資料として貴重なものといえる。
参考:川勝政太郎 「近江宝篋印塔の進展(四)」『史迹と美術361号』
八日市市史編纂委員会編 「八日市市史」第2巻中世 634~635ページ
(情報を頂き、早速行ってきました。円通寺の南方を捜しましたが見当たらず、諦めて布施町方面に抜けようとした時、田んぼの中にそれらしい共同墓地が目に入り、無事を確認できました。それにしても1326年は、宝篋印塔造立がちょっとしたブームだったのでしょうか。正中3年4月に嘉暦に改元されており、先に紹介した同じ東近江市(旧八日市市)野村町八幡神社宝篋印塔(正中3年銘)のほか五智町興福寺宝篋印塔(嘉暦元年銘)と同年の造立です。ほぼ同じ地域内にあっていずれもよく似た小・中型の作品ですが、逆に細かい相違点に注目して観察し、あれこれ考えてみると、おもしろいですし、様式観の涵養にもつながるのではないかと思います。)