奈良県 高市郡高取町 壺阪 壺阪寺宝篋印塔
壺阪寺は高取町の南東の山中にある古刹。別名南法華寺。創建は奈良時代に溯るとされ、西国三十三ケ所観音霊場第6番札所としても著名。枕草子や今昔物語などにも登場し、平安時代から名刹として知られる。鎌倉時代には興福寺一乗院末となって法相宗と真言宗を兼ね、南北朝以降は越智氏との関わりが深かったようであるが、総じて中世の様子はいまひとつはっきりしない。仁治3年(1243年)に西大寺叡尊がここで大勢に菩薩戒を授けたとされている。室町時代の木造三重塔の奥にある阿弥陀堂(最近新しい堂に建て替えられ現在の名称は不詳)の裏に近世の宝篋印塔と並んで建っている。川勝政太郎博士は三重塔の南の高台にあるとするので移築されたのかもしれない。表面の風化がやや進んだ印象で細かい欠損部分もあるが基礎から相輪まで完存している。花崗岩製。高さ約215cm。基礎は半ば以上埋まり、観察できないので詳細は不明だが側面無地で非常に低いもののようである。基礎上には背の高い複弁反花座(弁数は各辺3枚と4隅で都合の16枚)を別石で置く。塔身には輪郭がなく、蓮華座上の陰刻月輪内に金剛界四仏種子を薬研彫する。種子は比較的小さくあまり雄渾なものとはいえない。笠は軒と笠下段形が同石、笠上が別石で、笠下は異例の3段。笠上は6段。4隅の隅飾突起も各別石。軒上四隅に浅い窪みをつけ隅飾を据えているのが観察される。外傾の目立たない隅飾は3弧輪郭内に蓮華座上の月輪を平板に陽刻し、輪郭内に種子(ア字と思われるが、風化により判読不能の部分があり八辺全てア字かどうかは不明)を陰刻する。相輪は伏鉢、請花、凹凸のはっきりしない線刻に近い表現の九輪の上に水煙、竜珠を挟み宝珠とする。水煙と竜珠を交えた本格的な相輪は層塔に多く、宝篋印塔では珍しい。境内には仏教のエピソードをテーマとした壮大なレリーフや観音菩薩の巨像などの石造物が最近次々と整備されており、一見の価値があるが、この宝篋印塔はひっそりと目立たない場所にあり、参詣する人もほとんど誰も気付かない。隅飾などを別石にするのは大和には少ない京都系のデザインで、凝った細部と確かな彫技、各部とも欠損なく揃っている点など、人知れず苔むしてしまっているような代物ではなく、もっと注目されるべき優品である。川勝博士は京都・嵯峨清涼寺にある伝・源融墓とされる宝筺印塔との共通点や大蔵派による関東系宝篋印塔との関連についても指摘されている。無銘で造立年代の推定は難しいが川勝博士、清水俊明氏は鎌倉中期とされる種子の弱さや清凉寺塔に比べ全体にシャープさに欠けることからもう少し新しいようにも思える。13世紀末~14世紀初め頃ではないかと思う。
参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』 180~181ページ
川勝政太郎 『京都の石造美術』 115ページ
清水俊明 『奈良県史』第7巻石造美術 268ページ