滋賀県 甲賀市甲南町杉谷 勢田寺宝篋印塔
勢田寺は、杉谷集落の南寄り、杉谷川の南岸にある。本堂向かって左手に無縁塚があり、その南北に2基の立派な宝篋印塔がある。南側の塔は山門入ってすぐ左手に見える。基壇はなく、複弁反花式の台座の上に立っている。台座の反花は、主弁4枚で間弁は上下そろって先端を“へ”の字に切り込みを入れている。側面は低く、反花の先端がオーバーハング気味になる。隅弁を間弁とする大和系の台座の上に立つ。花崗岩製。基礎は上2段で、壇上積式。四面とも格狭間を入れ、格狭間は花頭形や左右の曲線はスムーズで破綻なく整っている。東側を除く3面には格狭間内に開蓮華をあしらっている。開蓮華のない東側面の左右束石に銘文があるのがわかる。肉眼ではっきり判読できないが、「正和5年(1316年)丙辰6月11日一結衆造立之」とある。塔身は月輪全体を平らに浅く彫りくぼめ、中央に金剛界四仏の種子を力強く薬研彫するが、西面する正面を本来キリーク(無量寿如来)とすべきところを南面のタラーク(宝生如来)としており、塔身の向きが変えられていることがわかるので、それだけ移建されている可能性があると考えることができる。もとは金蔵寺という寺(早く廃絶し詳細不詳)にあったものとの説もある。笠は上6段、下2段で、軒と区別して二弧輪郭付の隅飾は直線的に少し外反する。輪郭の幅が狭い。輪郭内は素面。相輪は九輪の5輪目まで残り、それより上部を欠損する。伏鉢に単弁反花が表現されている。上の請花は低く扁平で、単弁反花を刻む。九輪の凹凸ははっきりしているが、凹部の彫りが浅く、凸部より幅が広い。現存高さ約168cmで元は7尺塔と思われる。全体に彫成がしっかりしており、表面の保存状態も概ね良好。基礎、笠ともに高さに比べ幅が広く、どっしりと安定感があり、隅飾の薄い輪郭も優美な印象を与える効果がある。塔身が小さく見えるが、薬研彫の種子の力強さが存在感を示し、全体として均衡を保って、装飾的で優美な宝篋印塔である。相輪先端の欠損が惜しまれる。台座、塔身は大和系、笠と基礎は近江系の意匠で、この地域は、石造美術における大和系の文化圏と近江系の文化圏の交わる地域とされるが、ひとつの塔のデザインの中に両方の文化圏の特徴を折衷して取り込み、美術的効果を得ている点は高く評価できる。また、造立銘により造立年代がわかる点も資料価値が高く、重要文化財クラスの優品と思う。一方、無縁塚を挟んで北側の本堂に近い方の宝篋印塔は、基壇を持たず、側辺4枚の複弁反花、隅弁を間弁とする大 和系の反花座を地面に据えている。反花の間弁は先端を“へ”の字形に反りをもたせている。蓮弁先端と側面との距離が南塔ではほとんどないが、こちらは1~2cm程度あって、全体的にやや背が高い。基礎は4面素面で上2段、やや基礎の幅に対する高さの比率が大きいもので、塔身は月輪を線刻し、金剛界四仏を雄渾な薬研彫で表している。南塔の種子に比べて字が大きく力あるが、北側にタラーク、南側にアク(不空成就)としているのは、東西南北が逆である。笠は上6段、下2段で、隅飾は、軒と区別してやや曲線的に外反する二弧輪郭付。笠の南西部が軒ごと大きく欠損して失われている。隅飾の輪郭の幅が狭い点、笠上各段の逓減率が大きく安定感がある点は南塔と同様だが、こちらの方が、隅飾が小さく、微妙に曲線的な外反を示し、外反の度合も少しきつい。相輪部分に宝珠と単弁反花のある請花が載せられているが、九輪以下を失った当初のものかどうか疑念は残る。あるいは石灯籠のものかもしれない。全体として彫りがしっかりとして、表面の風化も少なく、相輪と笠の南西隅を除けば保存状態は良好である。装飾的で優美な近江系・大和系の折衷型の南塔に比べ、まったくの大和系で、飾り気のない堂々とした重厚さのある塔で、対照的な印象を受ける。銘文は確認できない。花崗岩製。台座を除く笠上までの高さ約140cm、元は台座を含めて8尺塔であろう。正和5年(1316年)銘の南塔と比べると、反花座、基礎に高さがある点は新しい要素だが、塔身の雄渾な種子、隅飾の形状は逆に北塔がやや古い印象で、相前後する時期の造立と推定したい。純大和系と大和・近江両系折衷意匠の宝篋印塔が2基、同じ寺の境内にあることは興味深い。なお、南塔の脇には、寄集めの石灯篭の一部として、小さいものだが宝塔の塔身が転用されている。ここから南西約400mと程近い山手にある正福寺は、静かな境内が落ち着いた雰囲気を見せる寺院で、ここにも優れた宝篋印塔があるのであわせて訪ねられることをお勧めしたい。
参考
池内順一郎 『近江の石造遺品』(下) 280~283ページ
滋賀県教育委員会編 『滋賀県石造建造物調査報告書』 71ページ