【感動】とても寒い日、スズメが鉄棒にくっついてたので温めて助けた。
ユダの王ウジヤの52年にわたる治世の大部分は,成功に輝いていました。
ウジヤは「神の目に正しい」ことを行ない,軍事,建設,農業におけるその数々の事業は神の後ろ盾を受けました。しかし,成功は同時に破滅にもつながりました。
結局,ウジヤの心はごう慢になり,「彼はその神に対して不忠実なことをし,神(ヤハウェ,エホバ,YHWH)の神殿に入って香の祭壇の上で香をたこうと」しました。
このせん越な行為と,それをとがめた祭司たちに対する激怒のゆえに,ウジヤはらい病人として死にました。
聖書(歴代誌下 26:3~26:22)
イザヤが預言者としての奉仕を始めたのはそのころのことです。
イザヤが幻を見ている場所については,何も述べられていません。
しかし,イザヤが肉眼で見ているものは明らかに幻であり,全能者を実際に見ているわけではありません。
「いまだ神を見た人はいない」からです。
(ヨハネ 1:18。出エジプト記 33:20)
とはいえ,幻の中と言えども,創造者(神)を見ることは畏怖の念を抱かせます。
永遠の王また裁き主としての役割を象徴する高大な王座に座しておられるのは,宇宙の支配者,
すべての正当な統治権の源である方です。その方の長く,ゆったりとした衣のすそが神殿を満たしています。
イザヤは,神の主権者としての力と公正を強調する,預言者としての奉仕に召されています。
その準備として,神の神聖さに関する幻を与えられます。
イザヤは自分の幻の中で神の姿を全く描写していませんが,それはエゼキエル,ダニエル,ヨハネが伝えている幻とは違う点です。
また,それら三つの記述は,天での光景に関してそれぞれ異なったことを述べています。
聖書(エゼキエル 1:26‐28。ダニエル 7:9,10。黙示録 4:2,3)
とはいえ,これらの幻の本質と目的を銘記しておかなければなりません。
これらは,神(ヤハウェ,エホバ,YHWH)の臨在に関する文字どおりの描写ではありません。
肉眼で霊的な事柄を見ることも,限界のある人間の知力で霊の領域を理解することもできません。
ですから,これらの幻は,伝えるべき情報を人間の言葉で提示したものなのです。
イザヤの幻では,神の姿の描写は必要ありません。
この幻は,神がご自分の聖なる神殿におられること,また聖なる方であり,その裁きは浄いことをイザヤに告げているのです。
その上にセラピム(セラフ)が立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい,二つをもって足をおおい,二つをもって飛びかけ
聖書の中でセラピム(セラフ)のことが述べられているのはイザヤ 6章だけです。
明らかに,セラピム(セラフ)たちは神に仕えるみ使いとしての被造物であり,
特権と誉れの点で非常に高い地位を有し,神(ヤハウェ,エホバ,YHWH)の天の王座のそばにいます。
誇り高いウジヤ王とは違い,全く謙遜かつ慎み深くその立場に就いています。
セラピム(セラフ)たちは,天の主権者のみ前にいるゆえに一対の翼で顔を覆い,聖なる場所に対する畏敬の念のゆえに,もう一対の翼で足を覆っています。
セラピム(セラフ)たちは宇宙の主権者の近くにいるゆえにいっそう控えめな態度を取り,神ご自身の栄光をそぐことのないようにしているのです。
「セラピム(セラフ)たち」という言葉には,「火のような者たち」
もしくは「燃えている者たち」という意味があり,輝きを放っていることを暗示していますが,彼らはそれを上回る神の光輝と栄光から顔を隠しています。
互に呼びかわして言った。「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,万軍の主,その栄光は全地に満つ」。
*セラフ(セラピム)
目に見える創造物と同じく,目に見えない領域においてもみ使い(天使)の間に序列と階級があります。
力においても,権威においても第一位のみ使いは,み使いの頭ミカエルです。
聖書(ダニエル書 10:13,21; 12:1; ユダ書 9; 黙示録・啓示の書 12:7)
その卓越した存在ゆえに,また「神の民の子らのために立つ大いなる君」と呼ばれるゆえに,
この方は荒野でイスラエルを導いたみ使いであろうと思われます。
聖書(出エジプト記 23:20‐23)
み使いのうち,特権と誉れの点で非常に高い階級に属しているのはセラフ(セラピム)たちです。
「セラフ(セラピム)たちがその上の方に立っていた。各々六つの翼を持っていた。二つで顔を覆い,二つで足を覆い,二つで飛び回るのであった」。
聖書(イザヤ書 6:2,6)
聖書の中でセラフ(セラピム)よりも頻繁に(90回ほど)言及されているみ使いは「ケルブ(ケルビム)」たちで,その任務や責任に
関する説明から明らかなとおり,彼らもみ使いの中で特別な立場を占めています。
聖書(創世記 3:24; エゼキエル書 10:1‐22)
さらに,神と人間との間の意思伝達の手段として仕える,み使いである使者の大集団が存在します。
しかし,彼らは単に音信を伝達する以上のことを行ないます。
至高の神の代理者また代行者である彼らは,神の民を保護し,救出することであれ,
あるいは邪悪な者たちを滅ぼすことであれ,神の目的を責任をもって遂行する者として仕えます。
聖書(創世記19:1‐26)
人格的特性 み使いは神のご意志を成し遂げるために送り出される,人格特性を持たないエネルギー的な力であると主張して,
個々のみ使い(天使)が独自の性格を持っていることを否定する人もいます。
しかし,聖書はそのような考えを教えてはいません。個々の名は個性を示唆しています。
ミカエルとガブリエルというふたりのみ使いの名が挙げられていることは,この点を十分に確証するものです。
聖書(ダニエル書 12:1; ルカ書 1:26)
さらに多くの名が挙げられていないのは,これらの被造物に不当な誉れを帰したり,
彼らを崇拝したりすることのないよう人を守るものとなっています。み使いたちは自分自身の名ではなく,神の名において
行動する代理者として神から遣わされました。それゆえに,ヤコブがみ使い(天使)の名を尋ねた時,み使いはそれを明らかにしようとはしませんでした。
聖書(創世記32:29)
ヨシュアに近づいたみ使いは自分がだれかを明らかにするよう求められた時,「神の軍の君」であるとしか答えませんでした。
聖書(ヨシュア記 5:14)
サムソンの両親がみ使いの名を尋ねた時,み使いはそれを明らかにせず,
「一体どうしてわたしの名について尋ねたりするのか。それは驚嘆すべきものであるのに」と言いました。
聖書(士師記 13:17,18)
使徒ヨハネはみ使いを崇拝しようとしましたが,二度叱責され,
「気をつけなさい! そうしてはなりません!……神を崇拝しなさい」と告げられました。
聖書(黙示録・啓示の書 19:10; 22:8,9)
天のみ使い(天使)の軍勢の数に関して,ダニエルは「神に仕えている者は千の数千その方のすぐ前に立っている者は一万の一万倍いた」のを見たと述べています。
聖書(ダニエル書 7:10; ヘブル(ヘブライ人)人への手紙 12:22; ユダ書 14)
み使い(天使)たちはさらに,イエス・キリストが裁きを行なうために来て「小麦」を「雑草」から,「羊」を「やぎ」から分ける時,この方に伴って来ることが示されています。
天における神の王国の誕生に際してミカエルが龍や悪霊たちと戦った時,み使いたちはこのミカエルに加わりました。
彼らはまた,全能者なる神の大いなる日の戦争を戦う王の王を支持します。
聖書(マタイ書 13:41; 25:31‐33;黙示録・ 啓示の書12:7‐10; 19:14‐16)
「流刑と回復に関する預言」
イザヤはまた,ユダの王たちを退位させてエルサレムを滅ぼす国となるのはアッシリアではなく,バビロンであることを予告する特権も与えられました。
聖書(イザヤ 39:6,7)
アッシリアがユダの「首にまで」洪水のように押し寄せて来た時,イザヤはアッシリアの軍勢が都に侵入することはないという慰めの音信をヒゼキヤ王に伝えました。
聖書(イザヤ 8:7,8)
神はひとりのみ使い(天使)を遣わし,アッシリア軍の力ある者たちや指導者たち18万5,000人を滅ぼすことによってご自分の言葉の正しさを裏付け,こうしてエルサレムを救出されました。
聖書(歴代誌下 32:21)
確かにイザヤに最大の喜びをもたらしたのは,自分の愛するエルサレムの回復に関する多くの預言を語り,また記す特権を神から与えられたことだったに違いありません。
神はご自分に対する反逆と反抗ゆえに民をバビロンへの流刑に処せられますが,神はやがてそのバビロンを裁かれます。
バビロンは悪意に満ちて行動し,神の民を永久に捕らわれの状態に置こうとしたからです。
イザヤの預言の幾つかは専らバビロンに対する神の裁きとバビロンが決して再建されず,荒れ廃れた廃墟と化することを取り上げた預言となっています。
聖書(イザヤ 45:1,2。イザヤ 13,14,46‐48章。)
イザヤ書の随所に見られる回復の預言は,ご自分の民と全人類に対する神(ヤハウェ,エホバ,YHWH)の過分のご親切と憐れみを大いなるものとしています。
それらの預言は,エルサレムが神との関係において新たな地位に高められ,すべての国の民の見る栄光となる時,
またエルサレムがすべての国の民に対する祝福となる時を予告しています。
エルサレムは実際に回復され,再建され,『良いたよりによって命と不朽とに光を当ててくださった』
メシアの臨在によって祝福されました。
聖書(テモテへの手紙二 1:10)
エルサレムの回復もまた,将来起きる,より大きな,またより壮大な成就を伴っていました。
聖書(ローマ 15:4; コリント人への第一の手紙 10:11;ガラテヤ人への手紙 4:25,26)
イザヤの業の影響 イザヤは自分の名の付された聖書中の書を記しただけでなく,少なくとも1冊の歴史書,すなわちウジヤ王の事績の書を記したものと思われます。
そして,それは疑いなく国の公式記録の一部となったことでしょう。
聖書(歴代誌下 26:22)
イ ザヤは神(ヤハウェ,エホバ,YHWH)から割り当てられた預言者としての業を忠実に遂行することにより,その国民の歴史に強力な影響を及ぼしましたが,
義にかなった王ヒゼキヤに助言を与え,同王を導いた結果としてもたらした影響は特に強力なものでした。
イザヤの預言の多くはまた,メシアとその王国のうち に一層大きな成就を見ることになります。
イザヤ書はクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で何度も引用され,言及されています。
クリスチャンの筆者たちは多くの場合,イザヤの預言をイエス・キリストに適用し,また自分たちの時代におけるイザヤの預言の成就を指し示しています。
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