goo blog サービス終了のお知らせ 

神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

イエスに祈るのは正しいことですか・・・聖書

2017年01月27日 | 日記

 

イエスに祈るのは正しいことですか

ある研究者が最近,キリスト教の様々な宗派に属する800人余りの若者を対象にアンケート調査を行ない,イエスは祈りにこたえてくださる,と信じているかどうか尋ねました。
その結果,こたえてくださることを固く信じている,という回答が60%を超えました。しかし,一人の若者は,イエスという名を消して「神」と書き直していました。
あなたはどう思いますか。祈りはイエスにささげるべきでしょうか。それとも,神にささげるべきでしょうか。
答えを知るために,まず,イエスが弟子たちに祈りの仕方をどう教えたか,考えてみましょう。

イエスはだれに祈るよう教えたか

イエスは,だれに祈るべきかを,教えるとともに,手本で示しました。

教え
イエスは,弟子の一人から,「主よ,……祈りの仕方を教えてください」と言われた時,『いつでもあなた方が祈るときには,「父よ」と呼びかけなさい』と答えました。
「さて,イエスがある場所にいて祈りをしておられた時のこと,それを終えられると,弟子のある者がこう言った。「主よ,ヨハネもその弟子たちに教えたように,わたしたちにも祈りの仕方を教えてください」。
そこでイエスは彼らに言われた,「いつでもあなた方が祈るときには,こう言いなさい。父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように」。
(ルカ 11:1,2)
さらに,有名な山上の垂訓の中でも,耳を傾けていた人々に,祈ることを勧めました。
あなたの父に祈りなさい」と言い,また,「あなた方の父であられる神は,まだ求めないうちから,あなた方がどんなものを必要としているかを知っておられる」と述べて人々を安心させました。

「あなたは,祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして,戸をしめて,隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が,あなたに報いてくださいます」。
「だから,彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は,あなたがたがお願いする先に,あなたがたに必要なものを知っておられるからです」。
(マタイ 6:6,8)
人間としての最後の夜には,弟子たちに,「あなた方が父に何か求めるなら,父はそれをわたしの名によって与えてくださる」と語りました。
(ヨハネ 16:23)
ですから,イエスは,自分の父でありわたしたちの父でもある方,神(ヤハウェ,エホバ)に祈るよう教えたのです。
『イエスは彼女に言われた,「わたしにすがり付くのはやめなさい。わたしはまだ父のもとへ上っていないからです。しかし,わたしの兄弟たち+のところに行って,
『わたしは,わたしの父またあなた方の父のもとへ,わたしの神またあなた方の神のもとへ上る』と言いなさい」』。
(ヨハネ 20:17)

手本
イエスは,人々に教えた祈り方に調和して自らもこう祈りました。
「天と地の主なる父よ,わたしはあなたを公に賛美します」。
(ルカ 10:21)
また別の時には,目を天のほうに向けて,「父よ,わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします」と言いました。
(ヨハネ 11:41)
さらに,死ぬ間際にも,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」と祈りました。
(ルカ 23:46)
イエスは,天の父 ―「天地の主― に祈る点で,すべての人が倣うべき明確な手本を示したのです。
(マタイ 11:25; 26:41,42。ヨハネ第一 2:6)
初期の弟子たちは,イエスの教えをそのように理解していたでしょうか。

初期クリスチャンはだれに祈ったか

イエスが天に戻って何週間もたたないうちに,弟子たちは,反対者たちから嫌がらせや脅しを受けるようになりました。
「そうして彼らを呼び,どこにおいてもイエスの名によって何か口にしたり教えたりすることはないように,と言い渡した」。
(使徒 4:18)
もちろん,助けを求めて祈りました。では,だれに祈ったでしょうか。
「彼らは思いを一つにし,神に向かい声を上げて」祈り,引き続き「神の聖なる僕イエスの名によって」助けてくださるよう求めました。
(使徒 4:24,30)

ですから,祈りに関するイエスの教えに従っていた,と言えます。
彼らは,イエスにではなく神に祈ったのです。

幾年も後に使徒パウロは,自分と仲間の者がどのように祈っているかを述べました。
仲間のクリスチャンに宛てた手紙の中で,
「わたしたちは,あなた方のために祈る際いつもわたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています」と書いたのです。
(コロサイ 1:3)
また,「わたしたちの主イエス・キリストの名により,常にすべての事に対してわたしたちの神また父に感謝をささげなさい」とも書いています。
(エフェソス 5:20)
それらの言葉から,
パウロは「すべての事に対して……神また父」に祈るよう,もちろんイエスの名によって祈るよう勧めていた,ということが分かります。
「そして,何を話すにせよ,行うにせよ,すべてを主イエスの名によって行い,イエスによって,父である神に感謝しなさい」。
 (コロサイ 3:17)

わたしたちは,初期クリスチャンと同じように,祈りに関するイエスのアドバイスに従うことにより,イエスへの愛を示せます。
「もしわたしを愛するなら,あなた方はわたしのおきてを守り行なうでしょう」。
(ヨハネ 14:15)

わたしたちが天の父に,しかもその方にだけ祈るとき,
詩編 116編1,2節のこの言葉,すなわち
「わたしは主(神)を愛する。主(神)は嘆き祈る声を聞き,わたしに耳を傾けてくださる。生涯,わたしは主(神)を呼ぼう」。
という言葉は,かつてなく意味深いものとなるのです。