聖書はどんな本?
どう思われますか…
● 格言集
● 神話や伝説の本
● 神からの書物
聖書によると
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」。
そうだとしたら
● 人生に関する疑問の答えが得られます。
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、
神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
(マタイ書 4:4)
● 毎日の生活に役立つヒントが得られます。
あなたのみ言葉はわたしの足のともしび、わたしの通り道の光です。
(詩編 119:105)
● 将来に対する確かな希望が持てます。
これまでに書かれた事がらは、すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、
それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである。
(ローマ人への手紙 15:4)
聖書の言葉は本当に信じられますか
その理由は少なくとも三つあります。
● 内容が驚くほど調和している。聖書は1,600年余りの期間をかけて40人もの人によって書かれました。
ほとんどの筆者は,互いに会ったことさえありませんでした。
それでも聖書は、全巻を通じて調和が取れており、一つの中心的なテーマが貫かれています。
● 歴史がありのままに記されている。昔の歴史家たちは、自分たちが敗北した戦いについての
記録を残すことを好みませんでした。
それに対して,聖書の筆者たちは自分や自国民の失敗についても正直に記録しています。
その先祖の神、主はその民と、すみかをあわれむがゆえに、しきりに、その使者を彼らにつかわされたが、
彼らが神の使者たちをあざけり、その言葉を軽んじ、その預言者たちをののしったので、
神(主)の怒りがその民に向かって起り、ついに救うことができないようになった。
(歴代誌下・歴代第二 36:15,16)
神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、
わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
(詩編 51:1~4)
● 預言が確実に実現している。聖書は古代都市バビロンの滅びを200年も前に予告していました。
「いまわたしは彼らに対してメディア人を奮い起こさせる。彼らは銀を何物とも思わず、金については、それを喜びもしない。
そして、彼らの弓は若者たちをも打ち砕く。また,彼らは腹の実を哀れまず、その目は子らを惜しみ見ることもない。
そして、もろもろの王国の飾り、カルデア人の誇りの美であるバビロンは、神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。
彼女は決して人の住む所とはならず、また、彼女が代々にわたって住むこともない。
そしてアラブ人はそこに天幕を張らず、羊飼いもその群れをそこに伏させない。
そして、水のない地域にせい息するものが必ずそこに伏し、彼らの家々には必ずわしみみずくが満ちる。
また、そこには必ずだちょうが住み、やぎの形をした悪霊たちもそこで跳ね回ることであろう。
そしてジャッカルがその住まいの塔の中で必ず遠ぼえし、大きなへびが無上の喜びの宮殿にいることであろう。
そして、その時期は間近に到来し、その日が延ばされることはない」。
(イザヤ 13:17~13:22)
バビロンがどのように攻め落とされるかだけでなく、征服者の名前も挙げていたのです。
わたしはわが受膏者クロス(キュロス)の - 右の手をとって、もろもろの国をその前に従わせ、もろもろの王の腰を解き、
とびらをその前に開かせて、門を閉じさせない、と言われる主(神)は - その受膏者クロス(キュロス)にこう言われる、
「わたしはあなたの前に行って、もろもろの山を平らにし、青銅のとびらをこわし、鉄の貫の木を断ち切り、
あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、
わたしは主(神)、あなたの名を呼んだ - イスラエルの神であることをあなたに知らせよう。
(イザヤ 45:1~3)
ほかにも聖書の数多くの預言が、細かい点まで実現しています。
神からの書物であれば、それも当然ではないでしょうか。
預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく、人が聖霊に導かれつつ、神によって語ったものだからです。
(ペテロ第二 1:21)
神の言葉 聖書を導きとすれば、なぜ生活は向上しますか。
答えは聖書の次の箇所にあります。
あなたのあがない主(神)、イスラエルの聖者、主(神)はこう言われる、「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。
どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。そうすれば、あなたの平安は川のように、あなたの義は海の波のようになる」。
(イザヤ 48:17,18)
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
(テモテへの手紙二3:16.17)