マリアは神の母ですかⅠ
聖書の答え
いいえ。聖書は,マリアが神の母であるとは教えていません。
また,クリスチャンにマリアを崇拝したり神聖視したりするよう求めているわけでもありません。
*一部の宗派は,マリアは神の母であると教えています。
マリアを「天の女王」,またはテオトコス(ギリシャ語で「神を産んだ者」の意)と呼ぶこともあります。
次の点を考えてみてください。
マリアが自分は神の母であると主張したことは一度もありません。
聖書の説明によると,マリアが産んだのは「神の子」であり,神ご自身ではありません。
「その子は偉大な人になり,いと高き方の子と言われる。神である主は,彼に父ダビデの王座をくださる」。
(ルカ 1:32)
『み使いは答えて言った,「聖霊があなたに臨み,至高者の力があなたを覆うのです。そのゆえにも,生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます」』。
(ルカ 1:35)
イエス・キリストは,マリアが神の母であるとか特別な崇敬に値するとか述べたことは一度もありません。
それどころか,ある女性がイエスの母となる特別な役割を与えられたマリアを称賛したとき,こう正しました。
「いいえ,むしろ,神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!」
『さて,イエスがこれらのことを話しておられたところ,群衆の中からある女が声を上げて彼に言った,「あなたをはらんだ胎と,あなたが吸った乳房とは幸いです!」
しかしイエスは言われた,「いいえ,むしろ,神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!」』。
(ルカ 11:27,28)
「神の母」や「テオトコス」(神を産んだ者)といった言葉は,聖書に出てきません。
聖書に出てくる「天の女王」という表現は,マリアではなく,背教したイスラエル人が崇拝していた偽りの女神を指しています。
『すると、自分たちの妻が異教の神々に香をたいているのを知っている男たち、そこに多く集まって居合わせていた女たち,更にはエジプトの上エジプトに住む人々がこぞってエレミヤに反論して言った。「あなたが主の名を借りて我々に語った言葉に聞き従う者はない。我々は誓ったとおり必ず行い,天の女王に香をたき,ぶどう酒を注いで献げ物とする。我々は,昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも,ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り,豊かで,災いを見ることはなかった。ところが、天の女王に香をたくのをやめ、ぶどう酒を注いでささげなくなって以来、我々はすべてのものに欠乏し、剣と飢饉によって滅亡の状態に陥った。また,女たちは,「わたしたちが天の女王に香をたき,ぶどう酒を注いでささげていたとき,天の女王の像をかたどったパンを供え,ぶどう酒を注いでささげたのは,夫も承知のうえのことではなかったでしょうか」と言った』。
(エレミヤ 44:15~19)
「天の女王」とは,バビロニアの女神イシュタル(アスタルテ)であったとされています。
初期クリスチャンは,マリアを崇拝することも特別扱いすることもありませんでした。
ある歴史家は,初期クリスチャンについてこう述べています。
「彼らは個人崇拝を退けたものと思われる。また,マリアに過度の注意を向けてしまうことは女神崇拝に当たりかねないと考えたはずである」。
「ユダヤ人マリアを求めて」(英語)
聖書によると,神様は常に存在しておられます。
「神(ヤハウェ,エホバ)よ,あなたは代々にわたってわたしたちのための真の住みかとなってくださいました。山々が生まれる前から,また,あなたが地と産出的な土地を産みの苦しみによるかのように生み出される前から,実に,定めのない時から定めのない時に至るまで,あなたは神です」。
(詩編 90:1,2)
「御座はいにしえより固く据えられ,あなたはとこしえの昔からいます」。
(詩編 93:2)
神様には始まりがないので,母親はいないはずです。
そのうえ,マリアは神様を宿すことなどできませんでした。
聖書が明らかにしているとおり,天でさえ神様を入れることができないからです。
「それにしても,神は本当に地の上に住まわれるでしょうか。ご覧ください,天も,いや,天の天も,あなたをお入れすることはできません。まして,私の建てたこの家など,なおさらのことです!」。
(列王第一・列王上 8:27)
>>>続く