山口県2歳児発見の男性 発見時の様子を涙浮かべ会見 2018年8月15日(水)
綾瀬はるかが戦時下の性犯罪をレポート!
兵士たちによる性暴力、国が中絶手術を強制…現在も続く性被害女性への偏見
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一部引用
政子さんには満州で知り合った「ゆう子さん」という17歳の少女がいた。
姉妹のように仲良くなったが、このゆう子さんもまたソ連兵の強姦被害に遭っていた。
そして、政子さんの家族とともに命からがら収容所を抜け出し、引き揚げ船で帰国の途に着いたときに、ゆう子さんは妊娠7カ月となっていた。
同じように妊娠していた女性のなかには、引き揚げ船から海へ身を投げる者もいた。
だが、ゆう子さんは生きることを選び、船は博多港に着いた。
しかし、ゆう子さんは福岡県筑紫郡二日市町にあった「二日市保養所」に連れて行かれる。
この「二日市保養所」では、当時の日本では違法だった中絶手術が強制的におこなわれていたのだ。
現在の母体保護法でも、中絶手術ができるのは妊娠22週未満まで。
妊娠7カ月での中絶手術は母体のリスクがあまりにも高すぎる上、麻酔薬がなく、
女性たちは麻酔なしで痛みに耐えなければならなかった。
さらに、当時の手術にかかわった医師や看護師の証言によると、妊娠後期の場合、中絶ではなく出産をして、
出てきた赤子の首を絞めたり、頭にメスを刺すなどして絶命させていたのだという。
なぜ、このような中絶手術がおこなわれたのか。じつはここに国による方針があった。
当時、堕胎にかかわった岩崎正・九州大学産婦人科教室元医局長は、
「日経メディカル」1987年8月10日号に「国が命じた妊娠中絶」と題した手記を寄稿。
そこには、敗戦直後に産婦人科の助教授が厚生省に緊急召集され、こう指示を受けたと書かれている。
異民族の血に汚された児の出産のみならず家庭の崩壊を考えると、
これら女性たちの入国に際しては、これを厳しくチェックして、水際でくい止める必要がある〉
〈極秘裏に中絶すべし〉
『NEWS23』では、二日市保養所で500人とも言われる女性たちが中絶手術を受けたと伝えたが、
この岩崎氏の手記によると、国立福岡療養所と国立佐賀療養所でおこなわれた中絶手術も〈1000件を下らない〉という。
このように「外地」で性暴力を受けて妊娠した女性たちは、当時「不正妊娠」と呼ばれ、記録されている。
強姦に遭った被害者であるにもかかわらず、女性たちは“正しくない妊娠をした者”として扱われ、
意思とは関係なく国の指示によって中絶をさせられたのである。
女性たちをソ連兵に差し出し性接待をさせた日本人男性
さらに番組では、政子さんの証言のほかに、岐阜県旧黒川村から満州に渡った「黒川開拓団」で起こった問題も紹介された。
それは、敗戦後にソ連兵や現地の人びとから襲撃を受けるようになった際、「開拓団の男たち」
はソ連兵に治安を守ってもらうことと引き換えに、女性を差し出して「性接待」をおこなわせていた、というものだ。
このとき、男たちは女にこう言っては性暴力を正当化した。「減るもんやないし」「ロシアの人と付き合えて良かったやないか」。
満州での性暴力、そして“身内”のはずの男たちに人身御供として差し出され、
強姦の被害に遭わされた女性たち。戦時下において、女性たちはこうして性の暴力に晒されてきたのだ。
無論、それは日本人女性だけの話ではない。
『NEWS23』では、星浩キャスターが「今回、非常につらい経験を語ってくれた女性の方々を、
私はその勇気に敬意を表したい」とした上で、「一方で日本はアジア・太平洋で多大な被害を与えたという加害者でもある」
「我々の責任は加害者ということの歴史に目を向けること」と言及したが、日本は戦時性暴力の加害者でもあるからだ。
言わずもがな、戦時中、日本軍兵士は戦地で強姦を繰り返し、さらには朝鮮人、台湾人、
中国人、フィリピン人、インドネシア人など、多くの国の女性たちを人身売買や脅迫、甘言を囁いて騙すなどして「慰安所」に入れた。
しかも、こうした「性奴隷制度」と呼ぶべき慰安所の設置には軍が関与しているのである。
だが、こうした問題に対し、日本はいまだに「戦争中だから仕方がなかった」だの「あれは戦時中の売春婦だ」だの
「強制連行ではない」だのと混ぜ返しつづけている。
これは、治安のために強姦させられた黒川開拓団の女性に男性が吐き捨てた「減るもんやないし」
という女性の尊厳を踏みにじる言葉と地続きのものであると同時に、いまなお日本に蔓延している
女性の権利に対する意識のなさを浮き彫りにしている。
実際、性被害を訴える女性に対し、この国では副総理までもが「はめられた」と言い出したり、
「酒を一緒に飲んだら合意も同然」「服装が悪い」「本当は悪い気はしなかったのではないか」など
と性犯罪を正当化する意見がごく当然の見方であるかのように次々と飛び出すという状況がつづいている。