伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

避ければ、振り出しに

2008-03-28 21:08:25 | Weblog

読者より :
自分に起きることにも、おかしいことが多くて、どういう事情なのか、それを知ることで供養が進む、または、ご先祖様が知ってほしいと思っているようなら、知りたいのですが・・・、大変お手数で申し訳ありませんが、どんな先祖の方が供養を必要としているか、どんな思いをお届けすればいいか、リーマンさん、通訳お願いできますでしょうか?

返答 :
先祖霊も1つの魂。 自分自身も1つの魂。 両者の違いは
この現実界で肉体が有るか無いか、だけです。
どちらが偉いも低いも無い、根源の存在へ還る旅の途中の
同じ立場の旅人同士です。

私達は今回の旅に出発する前に、過去に貯めた貯金と借金
の額に合わせて、大まかな旅行コースを自身で決めて出発し
ています。旅行コースによっては、そんな危険で苦しいコース
は止めた方が良いと先生から言われていながらも、景色を
体験したいが為に、自分で貧乏旅行を覚悟の上で出発してい
ます。

でも、いざ後戻り出来ない旅に出てしまうと、なぜ自分だけは
歩き旅なんだと・・・・追い越していく馬車に乗る旅人を横目で
羨ましがってしまいます。
今回の旅で通過させて頂く”道”(家系の霊線)には、石ころや
障害物が存在することも、もちろん知っていました。
それらを1つ1つ片付けながら進み、喜怒哀楽、感動を体験
しながら、大きな大きな道に合流するのが旅行の目的です。

もし、石を跨いで避けながら進んで行けば、途中でまた後戻り
する道に迷い込んでしまい、気が付くと歩みが全然先に進ん
でいなかったことを知るでしょう。 
大きな道に合流するまえに、旅の予算が尽きてしまう人が
多いです。 振り返れば、初めは険しい道だったものが綺麗な
道に変わっていることが理想です。

さて石の1つ1つに、こだわっては生けません。
1つの石の色や姿にこだわっていては、歩く速度が遅くなり、
日が暮れてしまいます。 こだわっていると切りがありません。
たんたんと片付けながら、ただ歩いて行けば良いのです。
その歩く方向は、空に在る太陽の位置を確認しながら進んで
行けば、方向を間違うことはありません。

伊勢白山道では、個々の故人の位牌を必要としません。
個々の故人に拘ると、逆に故人の現世への思いが消え難く
なります。 悲しみを抑えて、笑顔と感謝の気持ちで送り出す
勇気も必要ではないでしょうか。

自身の関わる先祖霊と諸霊を、苗字の道一つで旅立って頂
きます。 同じ道を使用した先輩の先祖霊の中で、道を歩き
切った先祖霊は、次の新しい旅に出る前に、成長させてくれ
た前回の道を歩む後輩を、恩返しの意味も含めて必ず見守
ってくれます。 

生かして頂いて ありがとう御座います

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コメント (83)
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