審神者(さにわ)とは、古代の神道の祭祀において神託を
受け、神意を解釈して伝える者の事で本来はありましたが
大本教などの新興神道系が、個人の魂の「格」、背後存在
のランキング(分かり易く言えば)を判定する妖術の使い手、
先生を指す事に現代では使われています。
ランキング判定する際に、鎮魂帰心法(ちんこんきしんほう)
と言う妖術により、作為的な神懸り状態を演出させます。
ようは、ただの霊的垢付け行為です。
2007-11-26 記事より引用 :
鎮魂帰心法とは、宮中で行われる鎮魂祭での鎮魂・魂振の
秘儀では無く、100年程前に体系化された新興の神懸りを
演出する方法です。個人に縁のある霊的存在を、その人
に憑依させて、先生役( 審神者・さにわ)が会話・問答をして
仕草の様相から判断して、その霊的存在の正体や意思を
判定します。
私は、このような会話・問答による 審神を最も軽蔑してい
ます。この浮き出す(浮霊現象)霊的存在の大半は、その受
けている本人のモノでは無く、 審神者の垢が喋らしたり、
その会に潜む背後の霊的存在が、憑依してるに過ぎません。
霊的レベルは、小学生のコックリさんと同じです。
現在の鎮魂帰心法には、脱走狐霊が教えた霊的垢を、私は
感じます。実際、これを開発した、本田親徳(1822~1889)
は、「狐憑き」の少女と出合ったことをきっかけにして、
この方法を開発しています。 (以上)
つまり、現代では、審神が出来ると「自称」する先生ほど、
この審神が必要です。
宗教や神事で飯を食う人間に、正しく審神できる人は、現代
では100%居ません。
神霊は伝えます。
「神の名前の元に個人主導で集団をつくり、生きる糧を得る
ことならず」
神社などの集団は、正神に赦されます。
ただし、その代わり一切の奇異行法が禁止されなければ
成りません。 ひたすら、神を畏れ、祭るのが使命です。
個人の人間が対象の行為は、大祓詞と神舞に触れて頂く
無言の行為「言上(ことあげ)せず」に終始し、教えも強制も
無い、無言の自主的学びを示す場が神社の正しい姿勢です。
人間に何も教えずとも数千年続く宗教は、日本の神道だけ
です。この奇跡を起こせるのは、神が本当に居るからです。
今日も、伊勢神宮に神は、い・ま・す。
日本全体では、審神の霊格を持つ人が現代では既に居ない
のか? いえ、居られます。
MIXIで1名、見掛けました。 このブログの読者にも、数名
審神霊格が育ちつつ有る人がいます。
これらの方に共通するのは、生業を持ちながら、神の道に
居られる人です。 太古の神祭り人は、皆さん半農半祭で
あり、神事で飯を食う発想すらありませんでした。
もっと凄い審神者は、一生懸命に娑婆世界で働きながら
家庭を守り、先祖霊を大事にする人々です。
本能で相手の魂の正邪を感じ取ります。
有料先生には、赤子は寄りません。 泣きます。
今日は、お彼岸です。
これは、元は太陽信仰からくる神道の大事な記念日と、
先祖を大事にする仏教思想が習合した、日本独自の
祖霊へ気持ちを向ける日です。
この日ぐらいは、日本全体で先祖霊へ線香と気持ちを向け
て欲しいものです。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
人類の 5% 運動を広めたいです。
応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
初めての人は、左側の「真客検索システム」を利用して下さい。
不掲載希望も掲載しますので、良く考えて投稿してください。