人間は生・老・病・死を避ける事が出来ません。
従って、好きな方々との死別も避ける事が出来ません。
仕方が無い事だとは分かっていながらも、いざ愛する人との
死別に直面すると深い動揺が消えません。
どうしてでも死んだ人と再会し、話をしたく成ります。
しかし現実界では許されない事の様です。
では、死んだ本人は会いたがっているのでしょうか?
太陽信仰の見地から考えてみます。
古代人は、太陽の動きに人の魂の行く末も見ていました。
朝に太陽が生まれ夕刻に死ぬ。
死んだ太陽は、違う世界(国)に再び朝日として生まれている
と考えました。
つまり、人がこの世で生まれて死ぬと、続けて違う世界の
赤子として生まれていると感じ取っていました。
これは霊的な真実です。
人間は死ぬと、その魂は自分自身の境涯に応じた違う次元
に行きます。 これを違う次元に再び生まれたとも言えます。
つまり、新しい次元に移行したなりの時は、慣れるまでに自由
が効かず、赤ちゃんの様なものです。最初は自己の魂が順応
するのが精一杯です。 現実界で生き別れた愛しい人々の事
を、思い遣る余裕がまだありません。
段々と魂が落ち着いてくると次に起こるのは、その魂が生前
に会いたかった自分の死んだ親や伴侶などとの再会があり
ます。但し、会いに来られる先輩の魂は、自分が生まれ出た
霊的次元よりも上の世界に居る魂ばかりです。
つまり自分の魂の次元よりも、下の世界に居る先輩は会い
に来る事ができません。 自分の魂がより落ち着いて動ける
様に成ると、自ら会いに降りて行く事は少ないですが可能
ではあります。
つまり亡くなった人の魂が直ぐに、現実界の私達にコンタクト
をしてくれないのは、まだ右も左も分からない赤ちゃんだから
です。 魂が霊界で落ち着くには、時間が必要です。
これには魂の個人差があります。
覚醒した魂は、肉体を失っても初めから自由自在に動けます。
一般的には、死後3年を過ぎると夢に現れたりは可能です。
しかし、これは霊界での魂の落ち着き具合次第です。
もし生きている人間が、故人との再会をしたいが為に、強い
悲しみの磁気を故人に送っていると、故人は霊界で落ち着く
事が出来ません。つまり赤ちゃんの成長が止まるのです。
故人の霊界での成長を引き止める事に成ります。
故人の魂が現実界に居る子供などに執着し、現実界から霊界
への移行さえも躊躇してしまうのです。
本当に後ろ髪を引かれてしまうのです。
人間は死ぬと、アッサリと生前の名前すら捨て去り、全てを
現実界で脱ぎ捨てると、あの世での成長が早まります。
そして自由になり、現実界での旅の意味と成果を知ることに
成るのです。 この時に本人の魂が取る形象は、生前の自身
が一番好きだった年代の姿で現れます。
亡くなった故人と夢でも良いから本当に再会したければ、
故人へひたすら感謝の磁気を送る事です。
悲しみや心の辛さを送っては駄目です。 余計に再会が遅れ
ます。 大事な事は、故人に会いたいが為に自殺をしてしまう
と未来永劫に会えない可能性が有ります。
また現実界の生活や生き方が、故人に心配させる様なもの
ならば、やはり愛するが故に心配に成り、故人の魂の成長が
止まります。
愛しい故人に会いたければ、自分自身が今生を生き切り、
故人の逝かれた霊的世界以上の所へ行ける様に頑張る事と、
故人へは自分が生きている間は、感謝磁気を送り続ける事
が大事です。
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