伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

欲張ると駄目

2008-12-12 18:58:25 | Weblog
神社に在る小さい石を持ち帰る人がいます。
良いとされる神社ならば、なお更に居られる事でしょう。
では、何故持ち帰るのか?
何か自分だけの良い物が得られると思うのでしょうか?
そこに神霊が居られれば、その人の「その浅ましき心」を悲し
みます。 石の有る無しの問題では無いのです。
知らずに自分の靴底に神社の石が挟まっていて持ち帰って
もバチは当たりません。無問題です。
良い物ならば、神からも盗ろうとする性根が駄目なのです。
良い物ならば、なお更に神の元に置いておきたくなる心に
成らなければ生けません。
一方では、神社からゴミを持ち帰る人も居ます。
神域を綺麗にしておきたいと言う神霊への思い遣りです。
悪い物は神前から取り去って自分が受け取り、良い空間を
神にプレゼントする行為です。
童話等には、良いと思い持ち帰った石は穢物に変わり、神域
のゴミは宝物に変わっている伝えが、世界中で色々なパターン
で存在します。 これは霊的な意味では真実です。
だからと言って、お宝を目当てに神社に態々ゴミを集めに行く
行為への戒めの童話も多数あります。

眷属神の障りから見ますと、神域の石を持ち帰る行為は
非常に危険です。 子供ならば直ぐに高熱が出て、その行為
の重大さに気付ける様に、有り難いことに事前通告が有る
ものです。
しかし欲垢にまみれた大人は、感性が鈍化している為に分ら
ないまま、その行為への戒めを受ける事が多いです。
出来れば石を元の場所に帰すのが一番良いです。
距離などの事情で帰す事が出来ないのであれば、地域の
一宮の神域に置くか、川に流すことです。

神道では、古来より自然にある万物に神霊が宿っていると
考えます。 伊勢伊雑宮の短い参道は、私が霊体で参拝する
と数百メートルもの距離に感じてしまいます。
つまり現実界の神域に在る小さい石でも、神界次元では巨石
かも知れません。 決して軽く考えては生けません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (172)
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