伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

元は一つと言えども

2009-03-11 09:12:15 | Weblog
生きている人間を観ますと、この人にも親が居られるんだな
と感慨深いものを感じます。
更に観て行きますと、親の親・・・更にその親。
一本の霊的な線(=霊線パイプ)を観じます。
その線が行き着く終端は、大いなる母性。
一つなるモノに行き着くようです。
この産み出す事を止めない大いなる母性の固まりは、まるで
本当の太陽に瓜二つです。
人類全員それぞれを観て辿りますと、必ず「同じ」母性の固
まりに行き着きます。
動物を観ても、やはり同じ固まりに行き着きます。
つまり生き物の全ては、繋がる霊線を辿れば、たった1つの
存在に行き着きます。
現実界の今に生きる霊線の最先端でもある私達は、霊線の
元を辿れば同じ一なるモノに行き着く。
現実界での個性は、魂が来た元へ戻るに連れて個性が消えて
行き、最後は同じ存在に成る。
太陽の表面に、60数億本(人類の数)の触手の様なコロナ
が伸びる感じでしょうか。
元では1つ。表面ではバラバラな1本の線の先端が私達。

霊線の途中が詰まると、その部分の内側が狭窄(きょうさく)
しています。細長い風船を途中で捻じる感じです。
先端の部分は、まるで「独立した固まりになってしまいま
す。本体の母性から独立した先端は、孤独で寂しく不安が消え
ません。
不安を消そうと、逆に個性の固まりを大きくする活動をしている
のが現代の物質社会です。

先祖を逆にたどれば、必ず確実に元(=神様)へ帰れます。
遠くに見える良さそうな「他人の磁気」を追い求めても、元へは
帰れません。帰れない事を死ぬ前か後に知る人が大半です。

元では一つだと自分に言い聞かせたところで、霊線の途中が
詰まっていれば、孤独と不安感は消えません。
これが現実界で生きる宿命です。
瞑想しても、迷走を楽しむだけです。
現実的・具体的に風船の捻じれを戻さなければ、安心でき
ません。
詰まった部分は、感謝の先祖供養と日常生活での感謝を
持つ事で治ります。
詰まった人間に関ると、つまらん事に会います。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (366)
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