『 姫塚伝説 』
秋も終わりに近い日の夕暮れのことです。数日前から伊勢路に入り、奥熊野へと向かう途中、錦浦近くの峠にさしかかっていた二人連れがありました。
桃眉(桃の実のようなまゆずみを額に二つ置くこと)をつけ、金襴の内掛けを身にまとった由緒ある姫と肩衣袴姿の老武士とが、足取りも重く峠にさしかかっていました。
峠の頂には大きな石が「どすん」と、座っているではありませんか。ひと休みするには都合のよい石です。少し休もうと爺やが姫の顔を見ると、姫は疲れた顔で爺やに言いました。
「爺や、私はもう一歩も歩けないわ。」
「姫、旅路はまだ長うございますぞ。」
姫は、飢えと渇きのために精根がつきそうになっていました。
「私はもう・・・・・。」
その時、姫は小さな声でつぶやくと、その場に倒れてしまったのです。
「姫、どうなされたのじゃ。」
爺やは驚いてからだを揺すってみましたが、姫はうつろな目で口もとを指さすのみです。
「かわいそうに、のどが渇いたのだな。」
爺やは先ほど通ってきた谷川へと、山道を下っていきました。自分も一口「ごくり」と、のどをうるおし、竹筒にいっぱい水を満たして、むちゅうで姫のところへと山道をかけ登ってきました。竹筒を口もとに近づけましたが、姫は身動きひとつしません。
「姫よ、いったいどうなされたのじゃ。」
爺やがそう叫んだときには、すでに姫は息絶えていたのです。爺やは、わなわな震えながら、その場にうずくまってしまいました。
今、まさに沈もうとしていた秋の夕日が、姫の金襴の内掛けに、きらきらと照り映えて、いっそう悲しみを添えていました。
やがて、我を取りもどした爺やは、姫の亡骸を丁重に葬り、自分も切腹して姫のあとをおいました。
現在でも、錦から新桑に越える峠道があり、石が積まれた塚が残っています。人々はそれを「姫塚」と呼び、少し錦側に下ったところの塚を「爺ヶ塚」と云い伝えています。
この出来事があってから、人々はこの峠のある山を「姫越山(ひめごやま)」と呼ぶようになったということです。