現行憲法で何でもありの安倍首相は、皮肉にも「日本国憲法の改正」を不要にしつつある

2007年01月10日 13時33分44秒 | 憲法問題
◆防衛庁が1月9日、防衛省に昇格した。防衛庁・自衛隊が昭和29年に創設されて53年を経て、自民党や防衛関係者は、やっと宿願を果たした気持ちであろう。強いて不満を言うなら、「防衛省」とは、生温い。「国防省」と命名すべきであった。今後の課題は、「大日本帝国陸海軍の再建」であり、併せて、「空軍と海兵隊」の建軍である。さらに欲を張って、「徴兵制度復活」(男女平等も適用)と「核武装」ということになる。
安倍首相は、陸海空三自衛隊の最高指揮官として防衛省で開かれた記念式典に出席して訓示した。このなかで、省昇格を「戦後レジーム(体制)から脱却し新たな国づくりを行うための第一歩」と位置付け、今後、「集団的自衛権行使の研究を進める」との考えを改めて強調したという。
◆これで「アーミテージ・レポート」で日本に示された事実上の「対日要求」のほぼ80%が達成されたとも言える。残るのは「集団的自衛権行使の容認」と「第9条を中心とする憲法改正」である。さらにあえて言えば、「原子力空母と潜水艦の建造」と究極の「核兵器」を保有することである。ここまで行ってはじめて、米英仏中ロ、インド、パキスタン、さらに北朝鮮と肩を並べる「核大国」に昇格できる。
「アーミテージ・レポート」は、アメリカのブッシュ政権で国務副長官を務めたアーミテージ氏らが政権誕生直前の2000年10月にまとめて、山崎拓元防衛庁長官ら自民党国防族に突きつけたものである。アーミテージ・レポートは、「日米のパートナーシップ」を強調し、このなかには、「有事法制の整備」「防衛庁の省への昇格」、「集団的自衛権行使の容認」などに加えて、「日本人が判断すること」と内政不干渉の姿勢を保ちつつ、暗に「憲法改正」を願望する意向も示されていた。
◆政府自民党は、公明党を抱き込み、「アーミテージ・レポート」に明記された「要求」を忠実に実現してきたのであった。アーミテージ副長官から「ショウ・ザ・フラッグ」と言われれば、軍艦旗を旗めかす海上自衛隊の補給艦をインド洋にも派遣した。
政府与党は、防衛省昇格に合わせて「自衛隊の海外派遣」をこれまでの「副業」から「本務」に格上げしている。安倍首相は、「自衛隊の海外派遣」をさらに「恒久化」する法律をつくろうとしている。
◆しかし、ここまでくると、皮肉なことに、「憲法改正はもう不要なのではないか」という疑問も生じてくる。改正するまでもなく、「日米のパートナーシップ」を果たせるなら、もう十分である。むしろ、アメリカが恐れるのではないか。「憲法という檻」に閉じ込めた獰猛な「人食い虎」を野に放つようなものだからである。
それ以上に危険なのは、安倍首相が提唱している「美しい国」の目指すところが、ひょっとしたら「軍事超大国」ではないかという疑念があるからである。日本政府の法制局はすでに破綻し、遺物化しており、最後の砦である最高裁判所は、「憲法裁判所」としての使命を放棄し無責任なままである。ブッシュ政権がイラク攻撃の「有志連合」を組んだ際、これに参加を決めたコスタリカ政府に対して、たった一人で立ち上がったコスタリカの青年ロベルト・サモラ氏が、「憲法違反だ」として裁判所に提訴したのに対し、最高裁判所が、訴えを認めて「違憲判決」を下した。このため、コスタリカ政府は、イラク参戦を思い止まったという。コスタリカでは、憲法が生きており、最高裁判所もしっかりと機能しているということである。それに引き換え、日本は、どうだろう。憲法9条は死文化しており、最高裁判所は、「狸寝入り」を決め込み、ストライキ中である。これでは、最高裁判所こそ、もう要らない。
さてさて、いま使用しているパソコンは、キーボードを叩いても「防衛省」とストレートに文字は出てこない。IT社会の必需品であり、最先端技術の一つとして現在も、日進月歩で進化しているパソコンでさえ、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を迫られている。
【参考】
2006年9月6日、悠仁親王誕生。皇紀2666年9月6日。9月20日、安倍晋三自民党総裁に当選。党内支持率66%、国民支持率66%。2006年9月26日、第90代総理大臣として安倍首相誕生。9月29日、初の所信表明演説。「憲法第9条改正」を念頭に「憲法改正」を明言。改正条項は、「第96条」。防衛庁が「省」に変わったのが何と2007年1月9日。安倍首相は、「6」と「9」に取り付かれ続けている。その意味は、いまのところ、不明。「ご96さん」です。
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日本は地政学上、米英との「シーパワー連合」を組んでも、中国・朝鮮に深く関わるべきではない

2005年05月07日 17時13分47秒 | 憲法問題
6月下旬に日韓首脳会談、6か国協早期再開で外相合意 (読売新聞) - goo ニュース

 日韓首脳会談が6月下旬にソウルで行われることが6日、町村外相と韓国の潘基文(バンキムン)外交通商相との間で合意した。小泉首相が訪韓して盧武鉉(ノムヒョン)大統領と会談に臨む。自民党の武部幹事長は6日、盧武鉉(ノムヒョン)大統領との会談で、靖国神社参拝問題、歴史教科書問題、竹島問題などでの対応を厳しく求められている。小泉政権は、中国の「反日暴動」をめぐる対中外交に続く、「近隣外交」の処理に苦労しているようだ。
 しかし、四面海に囲まれた「海洋国家」である日本のこれからの国家戦略は、あくまでも、「海洋国家の雄」であるアメリカと、「海洋国家の大先輩」である英国との間で政治的にも軍事的にも、また経済・文化的にも「シーパワー連合」を強固に組み、日本の進路を誤らないようにしていく必要がある。これに対して、「大陸国家」である「中国」と「半島国家」である「韓国」「北朝鮮」との間での結びつきは、できるだけ「緩やかな関係」にしておくべきである。「政経分離」の原則に立ち、政治的・軍事的な結びつきや関与は、極力避けなくてはならない。「海洋国家」が、「大陸国家」や「半島国家」にかかわると、命取りになる。これは、大東亜戦争に敗北した日本が、痛烈に感じさせられた歴史的事実である。
 今後ともに、ゆめゆめ「大陸や半島」への「政治的・軍事的野心」を抱いてはならない。前車の轍を踏む愚を犯すことになるからである。
 日本は戦後、「戦略なき国家」と揶揄され「外交防衛政策」の対米追従姿勢が内外から厳しく批判を浴びてきた。だが、日本に「戦略」がなかったというのは、大きな誤りである。
 日本が、本当に「戦略なき国家」だったのであれば、アメリカが「双子の赤字」を抱えて苦しむほど「経済的疲弊」し、「ソ連東欧」が経済破綻により崩壊して米ソ共倒れのような格好で冷戦が終結したのに、日本が、「経済的繁栄」を実現できた理由がわからなくなる。
 たとえ「日本国憲法」がアメリカによる「押しつけ」であれ、また、「アメリカの核の傘」の下で「保護」されてきた国であれ、こうした「受け身」の状態とそのなかに含まれていた諸条件を上手に利用して、ひたすら「通商国家」の道を歩み、「経済大国」を実現してきたのは、そういう立派な「国家戦略」が存在したからであり、偶然に「経済大国」になったわけではない。米ソが駆使したような「地政学」を活用しなかっただけにすぎない。
 「地政学」を活用した米ソが、疲弊ないし崩壊したというのは、何とも皮肉ではないか。
 アメリカは、海洋国家として「シーパワー」による世界制覇を、ソ連は大陸国家として「ランドパワー」による世界制覇をそれぞれ目指した。いわゆる「地政学」をフルに活用して世界戦略を展開してきたのである。
 日本も戦前、戦中は帝国海軍がアルフレッド・マハンの「海上権力論(シーパワー)」を、帝国陸軍がマッキンダーの「ハートランド論」をよく研究していた。日本海会戦を勝利に導いた秋山真之将軍が立てた「来攻する敵艦隊を迎え撃つ」という戦略戦術構想とその中心思想は、大東亜戦争に至るまで堅持された。佐藤鉄太郎中将は、古今東西の戦史を深く研究して兵学各部門に貢献し、陸海軍備の関係については当時台頭した「大陸進出国防論」を警めた。
 「帝国国防方針」は1909年に策定されたが、以来、仮想敵国(米・露・支)の関係から、「陸主海従」か「海主陸従」かの根本問題も解決をみず、「二重性格」の国防方針のまま大東亜(太平洋)戦争に突入し、大陸に深く入り込みすぎ、また戦線も拡大しすぎて、「空母中心」の新しい海戦の意義を理解したアメリカに敗北してしまう。日本がいかに「海洋国家」であったかを思い知らされ、痛烈に反省も迫られたのであった。
 戦後は、連合国軍最高司令部(GHQ)の意向で、これら「地政学」の研究がはばかれ、「地政学」に立脚した「国家戦略」を立てられなくなった。
 しかし、戦後の日本が、「国家戦略」を持たなかったかと言えば、さに非ずである。日本の大戦略は、「日本国憲法」の持つ「機能」のなかに仕込まれていた。このことは、日本に憲法を押しつけたアメリカでさえ気づかなかった。気づいていたのは、ただ一人、「吉田茂元首相」であった。アメリカ軍を「番犬」とし、軍備に巨費を投ずることなく、経済大国を築くという「戦略」であった。
 これは、「米ソ対決(東西冷戦)」と「南北朝鮮の分裂」という地政学的な状況と条件を日本民族の生き残りに活用するという巧妙なる戦略であった。
 東西冷戦により、これらの「状況と条件」は、大きく様がわりしてしまっているが、日本は再び、「東アジア情勢」を活用する「国家戦略の策定」が求められている。それには、
 ①日本は、武力による「覇道」ではなく、あくまで「王道」を歩む。
 ①アメリカ、英国などとの「シーパワー連合」を強化する。
 ②中国大陸に深入りせず、米中を覇権争いさせるとともに、朝鮮半島にはコミットしない。(危機が刻々と迫っているかに見える第2次朝鮮戦争の火の粉をかぶらないようにする)
 との原理原則を貫き、従来通り「通商国家」「超経済大国」を目指し続ける。「シーパワー連合」に最も関係の深い「シーレーン」の防衛に協力するのは、当然である。
 だが、「憲法第9条1項」はそのままに、「2項」を改正するとしても、「国連」への関与は最小限に止めるべきである。
 日本は、「安保理常任理事国」となり、先々、「国連旗」を隠れ蓑に地球のどこにでも出兵させられるような立場には絶対に立たされてはならない。「分担金」をいまの「19.468%」からさらに上乗せさせたり、アメリカ軍に成り代わって、「大陸」であろうと「海洋」であろうと、世界中の紛争地帯に出撃させられて「日本の青年の血」が多く流されたりして、ロクなことはない。日本の若者を「犬死に」させていならないのである。
 それよりも日本の防衛に全力を上げた方がよい。この限りの意味で、日本は戦前とはまったく違う新たな「富国強兵」の道を「国家戦略」とすべきである

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日本民族は、憲法第9条の呪縛から解き放たれ、アメリカ軍の鎖に繋がれていても「戦わずして勝て!」

2005年05月03日 17時47分14秒 | 憲法問題
憲法「自衛隊規定を」7割、9条改正反対51% (朝日新聞) - goo ニュース 

「憲法記念日」--。
 衆参両院の憲法調査会の報告書が出揃い、かつ、自民・公明、民社各党の国会議員の大勢が、「改正賛成」に傾いていると言われていることから、改正条項「第96条」(各議院の出席議員の3分の2以上の賛成により「発議」)の第一関門が満たされていると見てよい。「憲法改正問題」は、第二関門の「国民投票した者の有効投票総数の過半数の賛成」が得られるか否かに実質的に移っている。社会民主、共産各党や「9条の会」などの「憲法改正反対派」は、「国民投票」という「決戦場」でどこまで抵抗できるか。賛成派も反対派も、この「決勝点」を目指して、死闘を繰り広げていくことになる。
 戦後60年を経て、日本国民の多くが、バブル経済崩壊を起因とする「鬱病」にいつまでもドッブリ漬かっているわけにはいかない大事な岐路に立たされている。日本は、「第9条」改正を果たせば間違いなく、かねてより保守勢力の宿願であった「軍事大国」を目指すことになる。
 この機に、「日本国憲法」の持つ目に見えない「呪縛力」というものを分析しておくのは、無駄ではない。
 まず、マッカーサー元帥の軍政下、日本国民は、「日本国憲法」の持つ「魔法」により「呪縛」されて、日本民族の民族性の一つである「野獣性」が目に見えない「檻」に封じ込められた。
 日本民族は、決して「平和民族」ではない。映画やテレビのドラマでも「戦国時代」ものが喜ばれるのは、この民族性が感応しているとも言える。
 遠くは、豊臣秀吉の2度にわたる「朝鮮征伐」において、日本軍は、大勢の朝鮮民族を捕らえ、「戦利品」として数珠繋ぎで船に乗せて、日本に連れてきた。朝鮮軍の兵士たちのはねた首は、持って来れないので、大量の耳や鼻を削いで持ち帰り、「耳塚」がその名残である。
 近くは、大東亜戦争の最中、日本陸軍の将校たちが、捕らえた多くの中国人や朝鮮人の首を軍刀により「試し斬り」したり、銃殺したりして大量の死体を丸でゴミを捨てるようにして穴に投入した。これらの写真を掲載した書籍が戦後、数多く出版されている。
 アメリカは、アメリカにも劣らない日本国民の「野獣性」を恐れて、日本国民に「日本国憲法」を与え、この「野蛮な民族性」を封じ込めた。だが、直ぐにこの間違いに気づく。ソ連との冷戦が始まったからである。勝者の論理とは、何とも身勝手な都合のよい論理である。日本軍を武装解除したまでは、よかったが、「第9条」付きの憲法を与えてしまったのは、大いなる誤算だったとも言える。日本民族の「野獣性」を利用しようにも、これができない。しかも憲法改正がしにくい「硬性憲法」の「硬性」の所以である「第96条」が立ちはだかった。
 アメリカのもう一つの誤算は、日本民族が、ひょっとしたら「ユダヤ民族」のルーツと関係があるのではないかということであった。真相は定かではないが、GHQ(連合国軍最高司令部)が、皇室に守られている「三種の神器」の「鏡」の裏に刻まれた文字を見て絶句したというのである。何と「ヘブライ語」で書かれているらしい。アメリカの敵と思っていた日本民族が、実はルーズベルト大統領が救出しようとした「ユダヤ民族」のルーツに深く関係しているのに気づかされたというのである。ドイツのヒットラー、イタリアのムッソリーニと「日独伊防共協定」を結んでいた日本の東条英機首相が、「ビザ」を大量に発給して、「ユダヤ人」を助けていたという事実が判明したのは、すでに「A級戦犯」として絞首刑に処した後であった。
 このため、アメリカは、東条英機を合祀し靖国神社に日本の首相が公式参拝するのを批判も非難もできななくなった。
 そもそも、ユダヤ民族と日本民族は、明治維新以前も以降も、「敵対関係」にはない。それどころか、明治維新前夜、長崎にいたスコットランド系のユダヤ人商人、グラバーが、伊藤博文ら長州藩の若者5人(後に「長州ファイブ」と呼ばれる)をイギリスに密航させ、勉強させている。「三菱財閥」は、創設者の岩崎弥太郎以来、「軍需産業」を通じて密接な関係にあった。日露戦争時には、ユダヤ系のクーン・ロエブ商会(いまのリーマン・ブラザーズ)が、戦費調達に尽力し、関東大震災の復興にも協力してくれている。
 ちなみに、リーマン・ブラザーズは、ライブドアの堀江貴文が、ニッポン放送株買い占めの軍資金となる資金調達に背後で協力していた。
 日本国憲法のルーツは、第一次世界大戦に敗戦したドイツで、法哲学者のラートブルフらユダヤ人がつくった「ワイマール憲法」にあることは、すでに衆知の事実である。ユダヤ人の血を引くルーズベルト大統領の側近たちであった「ニューディール派」のユダヤ人が、第二次世界大戦後、日本に大挙してやってきて、民主化を進める一方、「日本国憲法」を押しつけた。「ワイマール憲法」は、ヒットラーによって停止されていたので、「ワイマール憲法」の精神は、大西洋からアメリカ大陸、そして太平洋を経て「西回り」で日本に継授されたのであった。
 アメリカが、日本国憲法で望んでいるのは、「第9条の改正」のみである。日本民族とユダヤ民族との深い絆を百も承知の上で、「憲法第9条改正」を強要し続け、「呪縛」から目覚めさせ、日本民族の「野獣性」を「檻」から解き放とうとしてきた。
 もちろん、檻から解き放たれたところで、日本は、アメリカ軍の指揮下に今度は「鎖」に繋がれることになる。
 だが、大英帝国の軍艦に護衛された東洋に進出し、東インド会社を基地にして、「阿片貿易」を手始めに「清王朝」の中国に対する植民地化と中国民族の奴隷化を進めてきたユダヤ人は、いまの中国にとっても、最も警戒すべき民族であることには変わりはない。中国が日本を敵視するのは、このユダヤ民族と関係が深いからでもある。もしかしたら、日本民族は、ユダヤ民族の手先と映っているのかも知れないのだ。だから、胡錦涛国家主席をはじめとする中国人は、ユダヤ人を救った「A級戦犯・東条英機」を合祀する靖国神社に公式参拝する小泉首相の頑固な姿に底知れない「恐怖感」を抱くのだろう。
 それでなくても、最後まで徹底抗戦し、「日本本土決戦」まで叫んだ日本軍が、再び復活するのではないかという「恐怖感」は、根強く、日本が「憲法改正」に踏み切ろうとしているとのニュースは中国や韓国ばかりか、アジア諸国民を震え上がらせている。つまりこのいまなお恐怖感を与える存在が、何百万人もの軍隊に相当しているのかも知れない。国民の大半が、いかに「平和ボケ」していようとも、「潜在的核武装国」でもある日本は、これだけでも「アジアの脅威」と映っているのだろう。
 日本国憲法の改正は、日本国民が憲法の制定や改正にかかわれる有史以来初めての経験となる。この歴史的意味は大きい。
 だが、日本民族は、わずか2000万人余にすぎないにもかかわらず、世界の金融を握り、国際連盟以来、国連さえも「ユダヤ民族の機関」と言われるほどの隠然たる力を持つユダヤ民族との深い絆を緩めたり、損ねたりする愚を犯してはならない。
 これからアジア諸国との誼を深くしていくにしても、明治維新後、日本は「脱亜入欧」を成し遂げ、「黄色人種」として「黄禍論」により差別を受けながらも、欧米諸国やユダヤ民族との間で築いてきた親密な関係は、あくまても第一に考え、大事にしていかなくてはならない。日本は、東アジアに位置するアジアの一国ではあっても、すでに単なる「アジアの一国」ではない。
 世界の中で唯一、流浪の民として行く先々で差別や弾圧、迫害を受けてきたユダヤ民族の「自由と民主主義への悲願」を内包していた「ワイマール憲法」を継授し、歴史上、最も進化した憲法と言われる日本国憲法のとくに「第9条」を多少改正するにしても、「人類普遍の原理」を損なうような致命的な傷を与えたのでは、何百万人もの日本の陸海軍将兵や市民が何のために大東亜戦争を戦ったのかわからなくなる。
 日本は極東の地にあり、単なる「金持ち国家」として中国や韓国などに「たかられる国家」ではなく、ユダヤ民族の悲願を秘めた日本国憲法の持つ「魔術性」と「第二次世界大戦を愚かまでも最後まで戦った軍国主義国家の幻影」を大切に守り、むしろ逆説的な意味でこの魔力を武力以上の力として活用し、国際社会において「恐れられる国家」でありながら「名誉ある地位」を築いていくべきであろう。
 くれぐれもアメリカ軍の下請け機関に堕落してはならない。
 また、「国際貢献」の美名の下に、地球上のどこにでも出兵して「武力行使できる国」になるべきではなく、ましてや「発言権が得られるから」との低レベルの動機で、「国連安保理常任理事国」に望んでなる必要はない。「発言権を持つ」ということは、それだけ「義務を負う」ことになるというまさに「負」の側面を軽視してはならない。
 日本は江戸時代の庶民のように、あくまでも世界の中で、大して「気も使わず」「コストもかからず」、もとより「無駄なODA(政府援助)」は省き、「安上がりに国家を運営」して国民の負担を軽くし、しかも「戦死する若者」を一人も出さないない、そして「お祭り好き」(イベント大好き)、そんな「ノー天気」で「気楽な存在」であればよい。
 もちろん、国民の生命、身体、財産を守る国防は最重要である。国民挙って「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし」というのは当然のことであり、敢えて言うまでもない。それにしても、あくまでも孫子の兵法の「戦わずして勝つ」という名言を忘れてはならない。

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衆院憲法調査会の最終報告書は、「小沢戦略」の成功を意味し、大勝利まであと一歩へ

2005年04月16日 20時19分06秒 | 憲法問題
9条改正、方向触れず 衆院憲法調査会最終報告書 (朝日新聞) - goo ニュース 

衆議院憲法調査会(中山太郎会長、枝野幸男会長代理)が15日最終報告書を河野洋平衆院議長に提出した。5年間の審議を経て、報告書ようやくまとまった。この報告書には、自民、公明、民主3党が賛成、社民、共産両党が反対した。自民、公明、民主3党は、国民投票法案について協議し、早期成立を目指すという。
 報告書がまとまったからといって、憲法改正案が直ぐに作成されて、国会で発議されるというわけにはいかないが、参議院側の憲法調査会の報告書も待たれる。また、自民党がすでに小泉首相の指示で、改正案づくりに入っているのをはじめ公明、民主両党も独自の改正案づくりに入っていくことになろう。      現日本国憲法は、昭和21年11月3日に公布、昭和22年5月3日から施行された。公布から58年、施行から57年。間もなく60年、つまり「還暦」を迎える。
 しかし、日本国憲法は、日本が独立を回復するとともに、改正に関する論議が次第に各方面で行われるようになった。初めは、「第9条の改正」に関して生じ、再軍備論と再軍備反対論とが争った。 その後、第9条以外の点についても、憲法改正論議が唱えられるようになり、たとえば、昭和29年を通じて活動した自由党の憲法調査会が、憲法条項のすべての面において、改正論を主張した。
 以後、とくに保守勢力が、憲法改正への意欲を示したが、「第96条」(改正条項)が、「各議院の3分の2以上の賛成」を発議の条件としていることから、憲法改正がすぐに実現する見込みは少ないとされてきた。
 この「3分の2以上の賛成」を得るための手段として、「選挙制度」、とくに衆議院の選挙制度の見直しが課題となり、田中角栄首相が、昭和48年4月10日、「小選挙区制度採用」を表明、導入法案を閣議決定し、国会に上程されそうになった寸前、社会、民社、公明、共産の「オール野党」が反対し、4月24日、院内共闘を決定、5月11日、野党が国会審議を全面拒否したため、政府は5月16日、国会提出を断念した。
 日本国民は、不思議な投票行動をする民族で、「中選挙区制度」によって投票すると、「保守勢力」と「革新勢力」がほぼ拮抗する形の結果を出す。それが小選挙区制にすると、「3分の2」の多数を確保することが可能になる。
 中選挙区制度の下で、「革新勢力」は、政権を樹立することができたはずだが、「革新勢力」が、「共産党」を警戒して、一つにまとまれなかったことが最大の原因で、「政権」を取ることができなかった。
 このため、自民党が昭和30年11月15日に保守合同して以来、単独で長期政権を維持した。自民党が初めて野党に転落したのが、38年目のことであった。
 小沢一郎元自治相らのグループが平成5年6月末に自民党脱党して新生党をつくり、7月18日の総選挙で自民党が過半数を割ったのである。新生党、日本新党、新党さきがけ、公明党など8党派が8月9日に細川政権を樹立する。
 あれから約12年、田中角栄首相が果たせなかった憲法改正のための条件が整ってきた。それは、憲法改正に反対してきた社会党(現在の社会民主党)、共産党が衰弱し、民社党はいまはなく、公明党は、改正派に回っているからである。
 これは、言うなれば、「小沢戦略」が成功したことを意味し、ようやく大勝利まで「あと一歩」にたどり着いた。小沢一郎という政治家は、誠にしつこい、真の政治家である。
 アメリカから「憲法改正・再軍備」を条件に巣鴨プリズンからの脱出を許されたのが、岸信介元首相だったが、この「密約」を果たすべく憲法改正の準備作業を小沢佐重喜衆院議院に命じた。小沢佐重喜衆院議院は、選挙制度の改正、すなわち、「小選挙区制度採用」の必要を痛感し、その調査研究に取り組んでいたが、その最中に、志半ばにして、死去してしまう。この遺志を継いだのが、長男・小沢一郎であった。小沢一郎は、田中角栄元首相を「政治の父」とした。
 自民党を分裂させ、「保守勢力」をわざわざ割って、革新勢力と合従連衡することにより、憲法改正反対の「牙」を抜き、ついに、反対勢力をほぼ絶滅するところまでたどり着いたのである。
 自民党の大多数、公明党のほとんど、民主党のおそらく3分の2が「賛成」と見られ、「各議院の3分の2以上の賛成」という条件は、クリアされている模様である。
 衆院憲法調査会の最終報告書が衆院議長に提出されて最も喜んでいるのは、憲法改正論者で知られている中曽根康弘元首相だろう。だが、もっと喜んでいるのが、民主党の小沢一郎副代表ではなかろうか。
 キリスト教精神と「法の支配」という思想を根底とするワイマール憲法を継受し、世界で最も進化した憲法と言われる「日本国憲法」の下で、戦後の自由民主主義教育を受けた立場から言えば、「改正」には、かなり忸怩たるものを感ずる。
 だが、日本民族は、有史以来、一度も国民の手で自らの憲法を制定した経験がない。聖徳太子の「17条憲法」、明治の「欽定憲法」、いまの「マツカーサー憲法」は、いずれも「上からの押しつけ憲法」である。
 改正するにしても、国民の自発性を重んじ、かつ、基本的人権思想、自由民主主義原理を損なうことのない憲法をつくらねばならない。「愛国心」と「国を自らの手で守る気概」という「精神的バック・ボーン」、「筋金」にしっかり支えられた憲法への改正が望まれる。これが完成すれば、日本国憲法は、自主憲法の「魂」、あるいは「画竜点睛」の打ち込みを果たし、完成する。


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憲法9条の改正には若者達の血の犠牲を伴うとの相当な覚悟と、しっかりした世界的軍事戦略が必要となる

2005年03月30日 14時48分28秒 | 憲法問題
9条改正「否定せず」が多数 衆院憲法調査会最終報告案 (朝日新聞) - goo ニュース

衆議院憲法調査会の最終報告書案が、ようやくまとまってきている。「憲法9条改正」について「否定せず」「集団自衛権行使容認」が大勢になってきているようだ。
 日本が有史以来初めて、「国民の手による憲法制定」を果たせる意味では、民主主義上、大変喜ばしいことである。
 だが、日本国憲法は、「9条」を持ちながら「最終戦争」と言われた「核戦争」の危機を孕んだ「米ソ東西冷戦」という厳しい風雪の時代を乗り切ってきた「世にも希な」しかも「世にも不思議な」憲法である。それをあえて改正しようとするのであれば、「国軍の再建」と「集団自衛権行使」に当たっては、日本国民は、相当の「固い決意」と「国際的軍事戦略」をしっかり持たねばならない。このことを肝に命じ、「改正」に踏み切るべきである。
 日本国軍は、米軍の単なる下請けの「補完的軍隊」であってはならない。しかも、「集団自衛権」という大義名分が立てば、地球規模でいつでもどこへでも緊急展開できる頼もしい軍隊でなくてならない。
 日本国軍が、「国連の要請」なり「国連正規軍への参加」をするなり、海外に出動する機会が多くなれば、日本の若者たちの多くが血を流す危険が高まる。
 そうなれば、志願者だけに出動させるのは不公平となる。「国連への協力」ないし「国際貢献」を行うことを「国民の義務」の一つとして新たに加えなくてはならない。すなわち、「兵役の義務」を明記し、「徴兵制度」を新設するのである。そうでなければ「法の下の平等原則」に反することになる。同時にこれは「男女平等」でなくてはならない。「召集礼状」は、「男女平等に発令」される必要がある。
 そうなると、日本が「少子高齢化」を早く食い止めておかなければ、「国際貢献」への要請には応えられないだろう。
 若者の多くは、「どことも知らないところへ連れて行かれ、犬死にのような戦死はしたくない」と海外派兵を拒否している。その具体的な例が、防衛大学校生の「中途退学者」と「任官拒否者」の増加である。
 「せっかく入学した防大生が逃げてしまう」という極めて憂慮するような深刻な事態が起きていることをわれわれ国民は直視すべきだ。
 国際貢献の頻度が増え、自衛隊の地位の向上が目ざましいなか、幹部の卵たちの自衛隊離れに防衛庁は、頭を抱えて困っている。防衛大学校の入学者のうち、約30%が中途退学と任官拒否していたという防衛大学校創設以来の最 悪の事態となったからである。小泉首相が「苦難に直面している国の平和と復興のために力を尽くし、地道な支援を 継続していく中にこそ、日本の平和と発展がある」と訓示 しているが、防大生たちには、空しく響いているようだ。第49期生の卒業式が3月21日行われ、卒業生325 人(外国人留学生12人を除く)のうち、自衛隊に進む任 官者は303人で、過去最少となった。中途退学者も過去 最多だった昨年春の113人を上回る132人で、入学数 の約30%を占めた。 民間会社への就職などによる任官拒否者は22人。過去最多だったのは、湾岸戦争当時の平成2年度の96人だったが、ここ10年間では、平成11年度と同じ同数で、最も多い。中途退学者と合わせると、合計3割強が任官しないで、防衛大学校を去った計算になる。
 この春の任官者のなかにも、「除隊」を考えている者が少なくない。たとえば、海上自衛隊幹部候補生学校を修了して3等海尉に任官し、3月下旬に遠洋航海に出航した新進の幹部のなかには、「遠洋航海から帰国後に退官する」と決めて参加している者もいる。
 こうした事態に防衛庁は、「イラク派遣などが影響しているのでは」と原因を推測してはいるものの、「このままでは、優秀な幹部の確保に支障をきたす」と頭を抱えている。
 しかし、防衛大学校ばかりでなく、自衛隊のなかには、「自衛隊が海外に出動のに、国際貢献のためという大義名分のそのものに疑問がある」と不満の声が根強くある。というのは、防衛大学校入校者や自衛隊入隊者の大半は、「日本の国土防衛と国民の生命・身体・財産を守ると宣誓して入っているのに、どうして行ったこともない海外に派遣されて貢献しなければならないのか」と疑問を抱いている者が少なくない。要するに、「日本と日本人のために命を賭けているのに、外国のために命は張れない」ということだ。自衛隊の「本来業務」とは別に「目的外流用」そのものへの疑問である。
 自衛隊の国際貢献そのものに対する批判が込められている。「小泉首相や大野防衛庁長官ら政治家たちが、アメリカの言いなりになって、自衛官を犠牲にするのは、許せない」という日米同盟関係重視への不満もある。
 防衛大学校は、4月入校式を行うが、果して、このうち何人が逃げ、何人が残るか?

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