◆「態度」という言葉を手元にある国語辞典で引いてみた。こう書いてある。
〔1〕「新明解国語辞典」(三省堂)
(1)その時考えていたり、感じていたりすることの現れとして費とに示す、言葉つき・表情・動作。「――〔=扱い〕の優しい人・土俵――〔土俵上のマナー〕・どうも近頃の彼の――〔=そぶり・様子〕はおかしい」
(2)相手(情勢)に応じての、行動のしかた。「心的態度〔=心構え〕」
〔2〕「大辞林」(第二版、三省堂刊)
(1)ある物事に対した時の、人のようす。動作・表情などの外面に表れたふるまい。
「真剣な―に心うたれる」
(2)ある物事に対応する身構え。応対。出方。
「学校側の―は弱腰すぎる」「強硬な―をとる」
(3)そぶり。挙動。
「――がおかしい」
――が大き・い
分をわきまえない態度である。横柄な態度である。
◆国会は10月30日の午前と午後、衆議院教育基本法特別委員会で、政府与党提出の教育基本法改正法案を審議した。このなかで、政府与党提出の改正法案に記述されている「態度」という言葉の使い方が実に奇異に感じられた。
改正法案の「第二条」(教育の目標)に「態度」が以下のように5回使われている。
教育の目標
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体をはぐくむ。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う。
◆小学生や中学生、高校生が教育基本法をじっくり読むことはおそらくめったにないだろうが、「態度」とは一体どういう意味だろうかと疑問を抱いて、手元の国語辞典をひもときも「ぞふり」「挙動」という言葉に目を止めたとしたら、どう受け止め、理解するであろうか。たぶん、こう読むに違いない。
一 ……真理を求めるそぶりを養い、……。
二 ……職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずるそぶりを養う。
三 ……主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与するそぶりを養う。
四 ……環境の保全に寄与するそぶりを養う。
五 ……伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与するそぶりを養う。
これでは「国家百年の大計」を計る教育にとって、大変由々しき事態を生み出す危険がある。「我が国と郷土を愛するそぶり」とは何だ、ということにならないか?
◆そもそも、今回の法改正は、日米同盟強化、有事即応体制の強化に連動して、国民の「愛国心」を高揚するのが目的のハズである。自民党は「改正案では、我が国を愛し、更にその発展を願い、それに寄与しようとする『態度』を規定しており、この『態度』を養うことと、『心』『心情』を培うこととは、一体としてなされるものであり、このことを踏まえて、『態度』と明記したものです」と一般国民に向けて解説している。だが、「法匪」といわれる法律学者なら、こんな屁理屈も解釈と受け入れてくれるかもしれないが、小学生や中学生、高校生が素直に理解するとはとても思えない。
◆GHQに占領されていた日本の政府は、制定された昭和22年3月31日現行の教育基本法から「愛国心」という言葉を意識的にはずした。それはGHQに遠慮したからであったといわれる。この結果、「画竜点晴」を欠き、「魂」の入らない基本法が出来上がった。改正法案には、「愛国心」という言葉を盛り込み「入魂」されるハズであった。ところが「心」が抜かれて、代わりに「態度」にすり替えられてしまった。連立与党の公明党に妥協したからにほかならない。
「国家国民への忠誠心」よりも公明党の支持母体である創価学会名誉会長への忠誠心」に配慮したことにはならないか疑問が残る。
◆ちなみに、「教育勅語」には「愛国心」という言葉は一つも記述されていない。にもかかわらず、戦前の軍国主義時代、政府は「愛国心」をさんざん鼓舞し、多くの若者を戦場に送り、「犬死」させてきた。
この経験から言えば、何も「国を愛する態度」などとまがいものの言葉を盛り込む必要はないのではないか。
それでなくても、いまの学校では教師に「良い子を演ずるぶりっ子」がたくさんいる。良い子の「仮面」をかぶっているのである。「国を愛するそぶり」をする「仮面人間」を増殖する教育はむしろ害悪である。
「国家百年の大計」に禍根を残さないためにも、小手先の法改正は行うべきではない。
〔1〕「新明解国語辞典」(三省堂)
(1)その時考えていたり、感じていたりすることの現れとして費とに示す、言葉つき・表情・動作。「――〔=扱い〕の優しい人・土俵――〔土俵上のマナー〕・どうも近頃の彼の――〔=そぶり・様子〕はおかしい」
(2)相手(情勢)に応じての、行動のしかた。「心的態度〔=心構え〕」
〔2〕「大辞林」(第二版、三省堂刊)
(1)ある物事に対した時の、人のようす。動作・表情などの外面に表れたふるまい。
「真剣な―に心うたれる」
(2)ある物事に対応する身構え。応対。出方。
「学校側の―は弱腰すぎる」「強硬な―をとる」
(3)そぶり。挙動。
「――がおかしい」
――が大き・い
分をわきまえない態度である。横柄な態度である。
◆国会は10月30日の午前と午後、衆議院教育基本法特別委員会で、政府与党提出の教育基本法改正法案を審議した。このなかで、政府与党提出の改正法案に記述されている「態度」という言葉の使い方が実に奇異に感じられた。
改正法案の「第二条」(教育の目標)に「態度」が以下のように5回使われている。
教育の目標
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体をはぐくむ。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う。
◆小学生や中学生、高校生が教育基本法をじっくり読むことはおそらくめったにないだろうが、「態度」とは一体どういう意味だろうかと疑問を抱いて、手元の国語辞典をひもときも「ぞふり」「挙動」という言葉に目を止めたとしたら、どう受け止め、理解するであろうか。たぶん、こう読むに違いない。
一 ……真理を求めるそぶりを養い、……。
二 ……職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずるそぶりを養う。
三 ……主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与するそぶりを養う。
四 ……環境の保全に寄与するそぶりを養う。
五 ……伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与するそぶりを養う。
これでは「国家百年の大計」を計る教育にとって、大変由々しき事態を生み出す危険がある。「我が国と郷土を愛するそぶり」とは何だ、ということにならないか?
◆そもそも、今回の法改正は、日米同盟強化、有事即応体制の強化に連動して、国民の「愛国心」を高揚するのが目的のハズである。自民党は「改正案では、我が国を愛し、更にその発展を願い、それに寄与しようとする『態度』を規定しており、この『態度』を養うことと、『心』『心情』を培うこととは、一体としてなされるものであり、このことを踏まえて、『態度』と明記したものです」と一般国民に向けて解説している。だが、「法匪」といわれる法律学者なら、こんな屁理屈も解釈と受け入れてくれるかもしれないが、小学生や中学生、高校生が素直に理解するとはとても思えない。
◆GHQに占領されていた日本の政府は、制定された昭和22年3月31日現行の教育基本法から「愛国心」という言葉を意識的にはずした。それはGHQに遠慮したからであったといわれる。この結果、「画竜点晴」を欠き、「魂」の入らない基本法が出来上がった。改正法案には、「愛国心」という言葉を盛り込み「入魂」されるハズであった。ところが「心」が抜かれて、代わりに「態度」にすり替えられてしまった。連立与党の公明党に妥協したからにほかならない。
「国家国民への忠誠心」よりも公明党の支持母体である創価学会名誉会長への忠誠心」に配慮したことにはならないか疑問が残る。
◆ちなみに、「教育勅語」には「愛国心」という言葉は一つも記述されていない。にもかかわらず、戦前の軍国主義時代、政府は「愛国心」をさんざん鼓舞し、多くの若者を戦場に送り、「犬死」させてきた。
この経験から言えば、何も「国を愛する態度」などとまがいものの言葉を盛り込む必要はないのではないか。
それでなくても、いまの学校では教師に「良い子を演ずるぶりっ子」がたくさんいる。良い子の「仮面」をかぶっているのである。「国を愛するそぶり」をする「仮面人間」を増殖する教育はむしろ害悪である。
「国家百年の大計」に禍根を残さないためにも、小手先の法改正は行うべきではない。