◆「思想統制官庁」としての文部科学省の無責任体質とご都合主義が、またまた露呈している。来春から使用される高校中学年向け教科書の検定結果は、誠に情けない。検定官が沖縄戦集団自決に関する「軍の強要」に修正意見を付けたことから、修正後の記述が「追い詰められて集団自決した」となっているという。
戦場において守備隊長や個々の指揮官が、沖縄県民に「集団自決しろ」と命令したかどうかの証明は難しいかも知れないが、「追い詰められて集団自決した」というのであれば、沖縄県民の自主的な要望により、日本軍は集団自殺用の手榴弾を手渡したということになる。民間人が勝手に手榴弾を手に入れられるはずはないのであるから、現場の軍人が自殺用に手渡したと考えるのが、自然である。大本営なり、沖縄の司令部から「集団自決しろ」と命令したのではないにしろ、軍人が手渡したのであれば、受け取る側から見れば、「軍の強要」を感じるのは、当然である。これを「追い詰められて集団自決した」というのは、おかしな記述である。
◆そもそも国民は、戦争遂行のために協力を強制させられた。しかも、東条英機が作ったと言われる「戦陣訓」は、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と説示し、日本政府はこの思想が日本軍の中だけでなく、一般国民にも浸透させていた。思想統制の大本山である文部省が重要な役割を果たしていたのは、明らかであった。
それをいまさら、「追い詰められて集団自決した」と言われたのでは、死者はもとより、遺族らは、たまったものではない。丸で「勝手に集団自殺した」と決め付けられては、死者の魂は、浮かばれない。むしろ、「沖縄県民は総力戦に加わり兵隊と行動を共にし、もはやこれまでと覚悟を決め、遂に集団自決した」と記述すべきである。これを抹消したのでは、「それはないよ」と恨まれても仕方がない。文部省も、無責任に思想統制すべきではない。都合が悪くなると、訳がわからない言い訳をして誤魔化そうとするのは、文部省の悪い習性である。御殿女中が陰湿なことをする「5流官庁」と言われる所以である。
◆こんなことでは、国民の思想統制はできない。教育基本法まで改正して「愛国心を持て」と言っておきながら、多くの国民は「勝手にさせてもらいます」とソッポを向いてしまうだろう。もちろん「国を愛する態度を養う」といい加減な改正をしているのであるから、国民が「愛国心」を持とうとは、ちっとも思っていないのは、いまさら言うまでもない。それに上塗りするかのように、沖縄県民は、「追い詰められて勝手に集団自決した」と言わんばかりの記述に修正したのでは、これからは、たれも文部科学省の言うことを聞き、政府に協力しようとは、思わなくなる。その結果、文部科学省の「思想統制力」が衰微することになりかねない。その方が、危険である。
◆この意味で、検定官は、「沖縄県民は総力戦に加わり兵隊と行動を共にし、もはやこれまでと覚悟を決め、遂に集団自決に追い込まれた」と正確に記述するよう再修正を求める意見を付すべきである。教科書は、科学的根拠に基づいて、記述すればよいというだけのものではない。国家国民統治の立場から、国民を鼓舞する機能をも果たさなければならないという重大事項を忘れてはならない。科学は学者に任せればよい。そうでなければ、文部科学省は不要であり、教科書検定も即時、廃止すべきである。
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戦場において守備隊長や個々の指揮官が、沖縄県民に「集団自決しろ」と命令したかどうかの証明は難しいかも知れないが、「追い詰められて集団自決した」というのであれば、沖縄県民の自主的な要望により、日本軍は集団自殺用の手榴弾を手渡したということになる。民間人が勝手に手榴弾を手に入れられるはずはないのであるから、現場の軍人が自殺用に手渡したと考えるのが、自然である。大本営なり、沖縄の司令部から「集団自決しろ」と命令したのではないにしろ、軍人が手渡したのであれば、受け取る側から見れば、「軍の強要」を感じるのは、当然である。これを「追い詰められて集団自決した」というのは、おかしな記述である。
◆そもそも国民は、戦争遂行のために協力を強制させられた。しかも、東条英機が作ったと言われる「戦陣訓」は、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と説示し、日本政府はこの思想が日本軍の中だけでなく、一般国民にも浸透させていた。思想統制の大本山である文部省が重要な役割を果たしていたのは、明らかであった。
それをいまさら、「追い詰められて集団自決した」と言われたのでは、死者はもとより、遺族らは、たまったものではない。丸で「勝手に集団自殺した」と決め付けられては、死者の魂は、浮かばれない。むしろ、「沖縄県民は総力戦に加わり兵隊と行動を共にし、もはやこれまでと覚悟を決め、遂に集団自決した」と記述すべきである。これを抹消したのでは、「それはないよ」と恨まれても仕方がない。文部省も、無責任に思想統制すべきではない。都合が悪くなると、訳がわからない言い訳をして誤魔化そうとするのは、文部省の悪い習性である。御殿女中が陰湿なことをする「5流官庁」と言われる所以である。
◆こんなことでは、国民の思想統制はできない。教育基本法まで改正して「愛国心を持て」と言っておきながら、多くの国民は「勝手にさせてもらいます」とソッポを向いてしまうだろう。もちろん「国を愛する態度を養う」といい加減な改正をしているのであるから、国民が「愛国心」を持とうとは、ちっとも思っていないのは、いまさら言うまでもない。それに上塗りするかのように、沖縄県民は、「追い詰められて勝手に集団自決した」と言わんばかりの記述に修正したのでは、これからは、たれも文部科学省の言うことを聞き、政府に協力しようとは、思わなくなる。その結果、文部科学省の「思想統制力」が衰微することになりかねない。その方が、危険である。
◆この意味で、検定官は、「沖縄県民は総力戦に加わり兵隊と行動を共にし、もはやこれまでと覚悟を決め、遂に集団自決に追い込まれた」と正確に記述するよう再修正を求める意見を付すべきである。教科書は、科学的根拠に基づいて、記述すればよいというだけのものではない。国家国民統治の立場から、国民を鼓舞する機能をも果たさなければならないという重大事項を忘れてはならない。科学は学者に任せればよい。そうでなければ、文部科学省は不要であり、教科書検定も即時、廃止すべきである。
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