口説くテク、「志野と織部」展 Vol.2

【ちょっと一息】

前編で「わるいやつら」で戸谷信一が逮捕されるきっかけが「志野」であったと書きましたが、それだけでなく、戸谷が女性を口説くために「志野」を使っていたんですね。興味があったわけでなく「陶器に興味を持っている」というと、女性を自宅に連れてくることができ、違う一面を見せることができ、女性とより親しくなれるんですと。だから、私も興味を持ちました、なんてね

出光美術館(地図)は、出光興産の創業者であり、出光美術館の創設者出光佐三(1885~1981)氏が、明治38年(1905)以降、70余年の歳月をかけて、日本と中国の書画や陶磁器を中心に蒐集し、一大コレクションを築き上げた、とのこと

今回、展示されている「志野と織部」は、桃山時代当時、中国や朝鮮などの外国焼き物が独占していた高級什器市場に、国産焼き物として、初めて参入したもので、歴史的にも意義があるようです

形や文様、色つやなど外国産とは異なる魅力的な造形を作り出し、

「志野の茶道具」「織部の懐石器」

は、後世にも大きな影響を与えたとのことです。

織部には、いろいろ種類があるんです。

焼成中に見計らって窯から引き出し、急冷させることによって漆黒色に変化させ、強いヘラ削りと大胆な歪みを加えたものが「織部黒」、そして、さらに、奇抜な意匠を描いた茶碗が「黒織部」と呼んでいます。

黒織部吊し文茶碗 黒織部蕨文茶碗

左が「黒織部吊し文茶碗」、右が「黒織部蕨文茶碗」です。

真っ黒と歪んだ形が特徴ですね。

「織部」は慶長10年(1605年)頃、美濃窯もの初の連房式登窯である元屋敷窯の開窯とほぼ同時期に生産が開始されたんですが、元和年間(1615~1624年)に入ると終焉を迎え、たった10年足らずの期間にしか作られませんでした。しかし、その間に、織部は日本の焼き物の枠を打ち破り、文様や器形の上でも大きな変革を成し遂げました

織部の特徴は、輝くような緑釉であり、中国華南の三彩のエキゾチックな味わいをモデルにしていて、文様は和の伝統の中から風流なモチーフを選びだし、主に懐石器などで大胆な造形を展開したとのこと

織部 織部

左が「織部蓬莱山文蓋物」、右が「織部四方平鉢」です。

緑が特徴ですね。

これで、趣味に「茶碗、器」を加えることできそうですね。戸部信一に少しは近づいたかも。

◆織部は、元屋敷窯跡(地図)で発掘されています。ホームページは、こちらです。

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