我慢しつつも、夜一人になると泣けて仕方なかった。
五感で亡き妻を探してしまった。
いるはずがないのは十分承知しているのだが、どうしてもいつもいた場所や好きだった音楽、妻の持ち物などなど。
そこに妻の姿を見つけてしまう。
そして、当然のことながら見つからない。
また、落ち込む……。
まさに『負の連鎖』。
どこでも断ち切ることができず、落ちるところまで落ちて行った。
それでも仕事場へ着くと、泣くわけにもいかず、まぁ、それなりに平常心を装う。
しかし、日常生活にはトラップがたくさん仕掛けられていて、まんまとその罠に嵌る。
(T_T)
引き金は言葉であることが多かった。
CMやTV番組の「おかあさん」って一言で、もうウルウル~。
娘の前では泣かないと決めた。
一人になると泣いた。
たくさん泣いた後……
『その涙は誰のため?』
『誰のために泣いているの?』
なんて声が聞こえたような気がした。
もしも、妻と私の立場が逆だったらと真面目に考えた。
どう考えても、その方が良かったはずだ(笑)。
それでもそうはならなかった。
時間が逆戻りしたり、私と妻が入れ替わることはなかった。
誰のために泣くのか?
妻の無念さを思って?
娘への申し訳ないといった感情?
自分の身の上に起こった現実の深刻さ?
なんで?という得体のしれない理不尽さへの怒り?
泣くほどに悲しみは深くなるのと同時に、何か別の感情が沸き起こってくるのが分かった。
なんだろう?
癒されるというか、許されるというか、気持ちが楽になるというか……。
こうやって徐々に傷は癒えて行くのだろう。
だから、当時もっと泣くべきだったと今後悔している。
もっと泣いておけば、もしかしたらもっと早く今回のような行動が起こせたかもしれない。
男性も女性も関係ない。
年齢や社会的立場、世間体なんてどうでもいい。
大切な人を亡くしたら、泣いてもいいんだよ。
思いっきり泣こう。
10年経った今でも亡き妻を想い、涙を流すこともある。
が、それはきっと『その場に立ち止って、悲しみに暮れなさい』ということではない。
きっと、「何か」を洗い流しているんじゃないだろうか。
「何か」は人ソレゾレ(笑)。
洗い流した後は、きっと身軽になるだろうし、キレイになれる。
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