泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「古代寺院の跡」歴史散策(1)

2017年12月24日 15時30分55秒 | 歴史

飛鳥が大好きな「歴史サークル」の皆さんと一緒に、車でしか行けないような「古代寺院の跡」に行ってきました。2回に分けて紹介したいと思います。

今回は、「古代寺院の跡」歴史散策(1)を紹介したいと思います。1回目は、「夏見廃寺(なつみはいじ)」です。

〇「夏見廃寺(なつみはいじ)」は、三重県名張市夏見にあります。飛鳥時代から奈良時代にかけて存在した寺の跡地です。 1990年に、国の史跡に指定されています。かつては雑木林の中でありましたが、現在は名張中央公園の一部として整備されており、金堂、そして塔と講堂、周囲に掘立柱建物の基壇が保存され、復元展示されています。

「夏見廃寺」の金堂は、飛鳥の山田寺と 同じ形をしていたことがわかっており、中央政府との結びつきの強さがうかがえるとされています。11世紀の初頭に成立した「薬師寺縁起」に、「大来皇女」の発願により亡き父「天武天皇」を偲んで伊賀国名張郡に建立された昌福寺のことが書かれており、「夏見廃寺」はその昌福寺ではないかと考えられているようです。発掘された大形多尊塼仏の須弥壇部分に、「甲午年□□中」(694年)の表記があり、寺の建立についてもこの年の前後とみられています。南斜面につくられた「夏見廃寺」は、礎石等が数多く残っており伽藍配置がわかる古代寺院の跡でした。

「夏目廃寺」は、飛鳥時代後半(7世紀末~8世紀前半)に建てられ10世紀末頃に焼失したようです。金堂跡発堀調査で金堂跡から、仏像をレリーフにした焼き物「塼仏(せんぶつ)」が大量に見つかりました。「夏目廃寺展示館」には、大小5種類の塼仏709個を組み合わせた金箔の塼仏壁画が復元されています。とても、見事でした。

私が大好きな飛鳥大好きなこの「歴史サークル」では、事務局の方による綿密な準備と詳しい資料が準備され、この件に関わる講師の先生を招聘し大変詳しく説明を受けることができます。毎回、楽しみしています。

「天武天皇」の皇女で、斎王制度が成立してから初めての斎王として仕えた「大来皇女」が、父の菩提を弔うために建てた昌福寺が「夏見廃寺」であるといわれている古代寺院の跡は、飛鳥から離れた地にあります。飛鳥時代の人物が関わったとされていて、とても興味をそそがれた歴史散策となりました!

次回は、「毛原廃寺」等を紹介したいと思います。

                                                                        



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