泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

「竹内街道(羽曳野市~太子町)」を歴史散策

2017年12月02日 18時06分34秒 | 歴史

「竹内街道(たけのうちかいどう)」は、大阪府堺市から東へ向かい、二上山の南麓・竹内峠 を越えて、奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26 kmの街道です。大阪府羽曳野市の 白鳥交差点から葛城市の竹内集落付近までの区間は、そのほとんどの区域が国道166 に指定されています。

今回は、「竹内街道(羽曳野市~太子町)」を歴史散策しましたので紹介したいと思います。

スタートは、羽曳野市の「上の太子駅」から歩き始め、太子町の竹内集落付近(孝徳天皇陵)までの「竹内街道」を歴史散策しました。ルートには、「竹ノ内街道」の旗や道案内板があり分かりやすかったです。最初は、車が多い道でしたが、途中から雰囲気のある道になり、由緒あるお寺に参拝する等とても気持ちよく歴史散策することが出来ました。

せっかくなので、太子町にある陵墓・古墳などの遺跡等を巡りました。(竹内街道ー孝徳天皇陵ー仏陀寺古墳ー推古天皇陵ー用明天皇陵)

「竹内街道」は、『日本書紀』の613年の条に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記されています。「難波大道」などと同様、日本最古の「官道」です。

一説には、「聖徳太子」や「小野妹子」らが中国大陸への使者として派遣された「遣隋使」が、帰国の際に同行してくる大陸からの使者が通るために、立派な道路が必要だと考えて整備したものだといわれています。現在の「竹内街道」は、大部分は推古天皇時代の官道と重なっているようです。

「官道」として整備されたのは7世紀初め頃ですが、二上山の西麓の大阪府太子町には4世紀から5世紀にかけての陵墓・古墳などの遺跡が数多く残っているため、既にかなりの人々の往来があったと思われます。

晩秋の青空の下、古代を想いながら仲間と共に歩いた「竹内街道(羽曳野市~太子町)」の歴史散策は、とても楽しいひと時でした!

                                          

               

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