私は,色々なところで,日本の中枢にいる人が所謂文系にかたよっていて,理学的,工学的な考え方がうまく活用されていないことを危惧している.特に,官僚や政治家の場合は,この弊害が顕著であると常々考えている.
そんなところで,たまたま入手した,板坂 元 先生の「知的仕事の技術 遊びの技術」を読んでいたら,「考える - 発想術 頭は逆の使い方が発見を生む」という章で,面白い記述があった.
一つは,ロッキード事件の際の渡部昇一先生と,立花 隆 先生の議論のすれ違いについて述べ,渡部先生の「定性的視点による過度の一般化」「定量的考察の欠如」を指摘していた.
板坂先生自身は,江戸文学がご専門の学者なので,生粋の文系であると思われるが,長くケンブリッジやハーバードで講じておられたので,アングロサクソン的な科学的発想がより強く染み付いていたのだろうか?渡部先生も合理主義のドイツで学位をとられていることも考え合わせると,この立場の違いはとても興味深い.
さらに,もう一つは,明治の宰相,伊藤博文 による「教育義」という論文についての記述である.これは,明治天皇に,伊藤博文が,「日本の高等教育はいかにあるべきか」を上申したものであるらしい.
『その中で,伊藤は,「学生には,政論などはいわせる必要はなく,「百科の学」をやらせろといっている.』らしい.板坂先生は,これが「専門バカ」輩出の始めであると,いう意味のことを書かれている.
私は,このことが,「専門バカ」だけではなく,後に,政治,法律,行政,マクロ経済などしか判らない,理系音痴の「政経バカ」を沢山輩出する最初の一歩になったのではないか?と感じた.
P.S.
「教育義」について,知っているひとがおられたら,どうぞ,教えてください.
そんなところで,たまたま入手した,板坂 元 先生の「知的仕事の技術 遊びの技術」を読んでいたら,「考える - 発想術 頭は逆の使い方が発見を生む」という章で,面白い記述があった.
一つは,ロッキード事件の際の渡部昇一先生と,立花 隆 先生の議論のすれ違いについて述べ,渡部先生の「定性的視点による過度の一般化」「定量的考察の欠如」を指摘していた.
板坂先生自身は,江戸文学がご専門の学者なので,生粋の文系であると思われるが,長くケンブリッジやハーバードで講じておられたので,アングロサクソン的な科学的発想がより強く染み付いていたのだろうか?渡部先生も合理主義のドイツで学位をとられていることも考え合わせると,この立場の違いはとても興味深い.
さらに,もう一つは,明治の宰相,伊藤博文 による「教育義」という論文についての記述である.これは,明治天皇に,伊藤博文が,「日本の高等教育はいかにあるべきか」を上申したものであるらしい.
『その中で,伊藤は,「学生には,政論などはいわせる必要はなく,「百科の学」をやらせろといっている.』らしい.板坂先生は,これが「専門バカ」輩出の始めであると,いう意味のことを書かれている.
私は,このことが,「専門バカ」だけではなく,後に,政治,法律,行政,マクロ経済などしか判らない,理系音痴の「政経バカ」を沢山輩出する最初の一歩になったのではないか?と感じた.
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「教育義」について,知っているひとがおられたら,どうぞ,教えてください.