日本福音ルーテル札幌教会 札幌礼拝堂

日本福音ルーテル札幌教会 札幌礼拝堂の最新情報です。

教会学校 午前9時より 主日礼拝 午前10時半より

思い悩むな

2008年04月25日 | 札幌礼拝堂

今月の教会報「KaIrosカイロス」から重富克彦牧師のメッセージを引用しご紹介します。

   

「あなた方のうち、だれが、思い悩んだからと言って、

       寿命をわずかでものばすことができようか。」  マタイ5章27節

 思い悩みというのはやっかいなものだ。自分から思い悩もうとして悩むものはい

ない。それは盗人のようにやって来て心を痛めつける。

 思い悩みの種は尽きない。仕事のこと、生活のこと、将来のこと、そして、人間関

係のこと。一番苦しい思い悩みは、人間関係のことかもしれない。~この網の何処

にも破れがないというのは、むしろ珍しい。どこかに破れがあり、どこかにきしみが

ある。

 だれかの、心に刺さるひとことが、いったん意識下に潜り、突然夜中に頭をもた

げ、心を噛み裂き、その痛みにのたうち回ったことはないだろうか。そんなときは

自尊心がへとへとになっている。自尊心を守るために、人は人を憎む。殺人に至

ることもある。

 思い悩みと恐れとは、同じだと言ってもいい。恐れがあるから思い悩みが生まれ

る。思い悩みが恐れを深める。思い悩みの深みに引きずり込まれるのに、ことの

大小はあまり関係ない。ことの大小よりも、恐れの深さに関係がある。

 その恐れの深さはどこから来るのだろうか。一番深い所にあるのは滅びの恐れ

だ。死への恐れと言ってもいい。けれど滅びの恐れは、かならずしも、死への恐れ

として自覚されない。思い悩みの底にいる者には、死は甘美にさえ思える。本当

は死の向こうの滅びこそが、すべての恐れの根源にあるものなのだ。滅びの恐れ

は、まずは、所有しているものの喪失の恐れとして感じられる。

 恐れは妄想を生み、妄想は恐れを深める。妄想は、すでに起こったことに対して

ではなく、まだ起こっていないことに対するものである。だから、妄想は無限であ

り、とめどない悪循環となる。思い悩みに飲み込まれると、その悩みから目をそら

すのも恐ろしくなる。それを忘れたいのに、目を離すのが不安なのだ。

 目を離せないなら受け取りなおそう。まず、思い悩むなと言ってくださるイエスに

目を向けよう。命を捨てて救いの手を伸ばされている御子に目を向けよう。野の花

をかくも豪華に装い、空の鳥をかくも軽やかに舞わせられる父に心を向けよう。

今起こっているすべてのことは、神がわたしに与えられていること。

思い悩みに襲われたら、キリストもまた、この寂しさ、この心細さ、この悔しさ、この

不安、この恐れ、すべて経験なさったのだと思おう。本当に経験なさったのだ。そし

て、今、自分も、少しだけ、その一端を担わせていただいていると思おう。それだ

けキリストの痛みも分かり、それだけ癒しも与えられ、心の切り替えも与えられる。

 思い悩みの波にのまれることは避けがたい。しかし、溺れかかっても体勢は立て

直せる。「この苦しみは、今、わたしに必要なことなのだ。」そう思うとおのずと体勢

は立ち直ってくる。

 私たちの髪の毛一本一本までも知っておられるお方に、身を委ねて生きよう。

 信じるものにはそれが与えられる。                   了 


4月27日礼拝の聖書と讃美歌

2008年04月24日 | 札幌礼拝堂

復活後第5主日礼拝

  説教題 「共にあり 内にあり 上にあり」 重富克彦牧師

    讃美歌 : 157番 279番 聖餐式264番   

    聖 書 : 使徒言行録      17章22~34節

           ペトロの手紙Ⅰ    3章8~17節

           ヨハネによる福音書 14章15~21節

 「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈り

なさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。」ペトロⅠ 3:8~9

 

「この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受

け入れることが出来ない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があ

なたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あ

なたがたをみなしごにしてはおかない。」        ヨハネ14:17~18


4月20日の礼拝案内

2008年04月17日 | 札幌礼拝堂

復活後第4主日

説教題 「人は何処に行くのか」  重富克彦牧師

   讃美歌  : 164番  170番   聖餐式264番

   新約聖書:使徒言行録      17章1~15

          ペトロの手紙Ⅰ     2章4~10

          ヨハネによる福音書 14章1~14

  「この主のもとに来なさい。主は人々からは見捨てられたのですが、神にとって    

  は選ばれた、尊い、生きた石なのです。あなたがた自身も生きた石として用い

  られ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。」 ペトロⅠ:2章4~5

日曜日は神の安息にあずかる日・・・・・。

創世記2:2~3にあるように、この世を創造された神様は「第7の日に、ご自身の

仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさっ

たので、第7の日を神は祝福し、聖別された。」のです。

ゆったりとした呼吸を取り戻し、耳を傾けていくことが出来ますように。

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枯葉を押し上げて、水仙が咲き出しまし

た。礼拝堂の傍らの、ひだまりで。


4月13日礼拝の案内

2008年04月08日 | 札幌礼拝堂

復活後第3主日

説教題 「主のみ声に聞き従う群れ」 宇野正徳牧師

  讃美歌 : 108番   328番  410番  聖餐式262番

  聖 書 :  新約聖書  「使徒言行録」     6章1~10節

                  「ペトロの手紙 Ⅰ」  2章19~25節

                  「ヨハネによる福音書」10章1~16節

 「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者

 である方のところへ戻って来たのです。」         ペトロの手紙2章25節

礼拝堂の左側のステンドグラスには、水芭蕉が描かれています。その前にはやはり水芭蕉が織り出された優佳良織の椅子。朝の光にこのふたつの水芭蕉は淡い水色のみずみずしさを引き立てあっています。魂の牧者、主を仰いで聖壇を見上げる時、ステンドグラス上部の導きの星が、主にある希望を示して、心を穏やかに整えてくれます。

どうぞ 礼拝に おいで下さい。