日本福音ルーテル札幌教会 札幌礼拝堂

日本福音ルーテル札幌教会 札幌礼拝堂の最新情報です。

教会学校 午前9時より 主日礼拝 午前10時半より

8月30日の礼拝案内

2009年08月27日 | 札幌礼拝堂

               札幌礼拝堂(中央区南12条西18丁目2-27)の礼拝は、

                    毎週日曜日午前10時半からです。

聖霊降臨後第13主日

   説 教 : 「内なる汚れ」    重富克彦牧師

   聖 書 : 旧約聖書  「申命記」     4章1~8節

          新約聖書  「エフェソの信徒への手紙」 6章10~20節

                  「マルコによる福音書」    7章1~15節

      「それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言う

      ことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができる

      ものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

                                        マルコ 7:14~15

        Photo             


8月23日の礼拝案内

2009年08月20日 | 札幌礼拝堂

                 札幌礼拝堂(中央区南12条西12丁目2-27)の礼拝は、

                      毎週日曜日午前10時半からです。

聖霊降臨後第12主日

 説 教 : 「安心しなさい」    岡田 薫 牧師

 聖 書 : 旧約聖書 「ゼファニア書」         3章18~20節

        新約聖書 「エフェソの信徒への手紙」 4章1~16節

               「マルコによる福音書」    6章45~52節

    

    「わたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きに

     ふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。

     愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つ

    ように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つ 

    の希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」  エフェソ3:1~4

              パウロからエフェソにいる信徒たちへの愛の手紙の一節です。

      

Photo

            


8月16日の礼拝案内

2009年08月14日 | 札幌礼拝堂

      札幌礼拝堂(中央区南12条西12丁目2-27)の礼拝は毎週日曜日10時半からです。

聖霊降臨後第11主日

 この日の礼拝は、信徒の石黒兄による証しです。

 聖書日課は 旧約聖書 「エレミア書」         23章1~6節

         新約聖書 「エフェソの信徒への手紙」 2章11~22節

                「マルコによる福音書」    6章30~44節

   ご一緒に静まって、耳を傾けるときを持ちましょう。


8月9日の礼拝案内

2009年08月03日 | 札幌礼拝堂

   *札幌礼拝堂(中央区南12条西12丁目)の礼拝は、毎週日曜日10時半からです。

聖霊降臨後第10主日の礼拝

  説教 :  「福音の旅立ち」      ビリピ・ソベリ牧師

  聖書 :  旧約聖書  「アモス書」 7章10~15節

         新約聖書  「エフェソの信徒への手紙」 1章3~14節

                 「マルコによる福音書」    6章6b~13節

   

      わたしたちの教会、日本福音ルーテル札幌教会は、今から93年前の

      1916年、フィンランドの教会の方たちの「北海道の人たちにも神様のこと

      を知らせたい」という願いから始まりました。

      最初に札幌に来られた宣教師はサオライネン先生です。

      先生はあるとき、「日本での宣教は神様との約束です。自分たちの都合

      でやめたり、遅らせたりすることは出来ないのです。」と言われました。

      日本には同じように外国の教会の人たちのお祈りと献金により始められ

      た教会が沢山あります。また、日本の教会も、外国の人たちに神様の愛

      を伝えるために宣教師やお医者さんを送るようになりました。

      この日の説教を担当するソベリ先生はフィンランドの宣教師として来日。

      日本での牧師資格も取られ、札幌、恵み野、函館と熱心に、また濃やか

      に心を砕いて、宣教奉仕をされて来られた方です。

      あなたに、神様からの福音のメッセージが届きますように。       

      


「余命の告知」Memento mori (死を覚えよ)12

2009年08月03日 | 札幌礼拝堂

                        札幌教会月報 KaIros 第24号(7月26日発行)掲載の

                             重富克彦牧師による祈りのエッセイ

                    「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」詩編23:1

 がんの告知は、ごく普通のこととなった。それに伴って、末期がん患者の余命の告

も、とまどいなくなされているようだ。

 私の妻も、肺がんが見つかった時はすでに末期で、余命一年と告知された。若い

医師が、淡々と告げた。あと一年。来年の6月くらいか。妻と一緒にその告知を聞い

たが、瞬時には実感が伴わなかった。妻も同様だったと思う。「なんだかぼーっとして

いたわ」と述懐していた。

 死の告知を受けた者の、心の変遷を、丁寧に分析したエリザベス・キューボラー・

ロスの研究は、つとに有名だ。それによれば、人はまずそれを否認し、それから、

延命に向けて神と取引をする。かなわぬと悟ると抑鬱状態が訪れる。そして悲嘆。

そのようなプロセスをたどって、死を受容するようになる。死を受容する時には、や

はり何かに希望を繋いでいるものだという。

 告知を受けて半年は、妻はまだ元気だった。がんの種類が腺がんで、西洋医学

では、抗がん剤か、放射線しか治療方法はないが、もはや根治は望めず、どちら

も、対症療法的な意味しかないと医師は言った。苦しい治療をして少しでも延命を

はかるか、代替治療を探すか、決断が迫られた。

 そんなとき、妻の友人から「波動療法」という新しい療法があることを知らされた。

彼女はそれですっかりアトピーが治ったという。藁にも縋る思いで、インターネットと

にらめっこし、品川によさそうな治療院を見つけた。理論的にもよさそうな気がす

る。そのときは、これで、治るのではないかとわたしも妻も一縷の希望を持った。同

時に枇杷の葉療法や、漢方薬の服用も始めた。まだ妻もわたしも死を受け入れる

つもりはなかった。それがロス女史のいう「否認」にあたるのだろうか。

 告知を受けてから、死に至るまでの一年、やはり妻も、キューボラー・ロスの言う

一連のプロセスをたどったのだろうか、それとも信仰のゆえに、抑鬱や悲嘆は軽減

される事が出来たのだろうか。ときどき、今でも自問自答する。ずっと傍にいたの

だが、妻の心の内奥まで十分に理解していたとは思えない。もしかしたら、自分

は、無意識のうちに、彼女に対して、信仰者として、取り乱すことなく、希望を持って

死んで欲しいと、自分の願いを、押しつけていたのかもしれない。わたしは夫であ

ると同時に、ホスピスのチャプレンのような役をしなければならないと思っていたよ

うな気がする。だから、いつも励ました。美しい天国のイメージも説いた。けれど、

励ましの心の奥には、悲しみにくれる妻の姿を見たくないという思いが隠れていた

のではないか。そうなったら、自分もどうしていか分からなくなるからだ。

 年が明けると、病状が急に悪化した。激しい腰痛に襲われ出し、ついにその治療

院のエレベーターの中で転倒した。大腿骨骨折だった。もう骨まで蝕まれてしまっ

ていたのだ。

品川から、最初にかかった藤枝市民病院まで搬送され、そのまま入院。そこであら

ためて事態の深刻さを知らされた。余命は後3ヶ月。妻はその告知を聞いていなか

ったが、骨折が転移がんによることは、医師と看護師の会話から察知していた。

 ベットに寝かせられ、ひとまず落ち着いたとき、いつものように祈った。

わたしの後に続いて、妻も祈るのが慣例だった。けれどその日から、妻は自分の

言葉では祈れなくなった。抑鬱のせいか、悲嘆のせいか。それはわからない。た

だ、「主の祈り」だけは、一緒にとなえてくれた。妻は自分の思いのすべてをそこに

託したのだ。

 闘病中、妻は一度も、天国への憧れをくちにすることはなかった。55歳なのだ。

まだ生きたかったのだと思う。けれど取り乱すこともなかった。ただ時折目尻から

幾筋かの涙が流れていた。わたしに気づかれると、「勝手に出ちゃうから仕方がな

いのよ」と弁解さえする。弁解などしてくれなくてもよかったのに。

 けれどやはり、あるときからはっきりと自分の死を受容したことをわたしも察知し

た。死の1週間ほど前、病室の窓からぼんやりと外を見ていたわたしの後ろから

「あなた、有り難う。頭に転移しているから、意識がごっちゃになる前に、有り難うっ

て言っておくわ」と言った。すでに自分の死を受容していたのだと思う。

 余命の告知は残酷なものだ。けれども、あった方がよいだろう。残された日々を

惜しんで一緒に生きた一瞬一瞬は、どんな時間よりも凝縮され、永遠の光が差し

込んでいた時間であったと、わたしは思っている。