北村正直兄(北海道大学名誉教授・元札幌教会代議員・めばえ幼稚園理事長)が、6月30日(水)召天され、葬儀が執り行われました。
通夜記念式:7月1日(木)午後7時
聖書 コリントの信徒への手紙一15:50-55
マタイによる福音書5:48(北村家愛唱聖句)
説教 「死は勝利に飲み込まれた」 重富 克彦 牧師
教会讃美歌337, 教団讃美歌271
葬儀告別式:7月2日(金)午前10時半
聖書 ヨハネによる福音書5:24-25
マタイによる福音書5:48(北村家愛唱聖句)
説教 「死から命へ」 重富 克彦 牧師
教会讃美歌337, 教団讃美歌461, 271
幼稚園の子どもたちも「おじいちゃんせんせい」に献花しました。
葬送の行進
ルカによる福音書23:42-43
マタイによる福音書5:3-10
北村先生、今まで本当に多くのことを教えていただき、ありがとうございました。天国で安らかに過ごされますよう、お祈りします。
参考 教会の葬儀
記事タイトルについて
私たちの教会では、「死」に召天という言葉を使っています。これは、天国の神様のもとに召されるという意味です。この世の労苦の務めを終えて肉体を離れ、霊は召されていきます。この世に残される私たちとの別れがあります。しかし、私たちにもいつか、必ず召天の日が訪れます。私たちは、その時に再び、北村兄とお会いできると信じています。この別れは、永遠の別れではないのです。そしてキリストが死に勝ち、復活されたのと同様に、私たちも復活する日を待ちたいと思っています。死の本質は、絶望ではなく、希望なのです。
Good-byeの語源は「(May) God be with ye(you). (神様があなたと共に居てくださるように)」という祈祷文です。日本語の別れ:さようなら(然様なら~・左様なら~)が、発語を語源にしているのとは大きく異なっています。しかし、多くの方は、語源を気にしないで、日常会話で「しばしの別れ」にGood-byeを使っておられることと思います。今回、ブログ記事のタイトルを、あえてGood-byeとしました。これは「神様が共に」と祈祷すると同時に、この別れが神様の時間では「しばし」のものである、と信じるからです。
北村兄は、天国でこのブログを読んで下さるでしょうか?