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闇雲に読むだけでは、深く暗い霧の中を小さな懐中電灯一つ手にして歩いているようなもの。目の前のことだけを見ていても真の姿はわかりません。つまり、限られたところしか照らさない私たちの知識や経験という手元の道具だけに頼っていても、全体像は見えて来ないのです。イエス・キリストという真の光に照らし出されてこそ、今いるところ、そして歩いて行く先が見えてきます。そのためには上を見上げること。神様の光は、圧倒的な輝きをもって、大きすぎて見ていなかった、しかしほんとうに大切なことをそこに照らし出して見せてくれます。
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第一巻(創世記)、第二巻(出エジプト)同様に、第三巻のレビ記もまた、本来のタイトル、ヘブル語での最初の言葉にそのテーマを見ます。それは、「神は呼ばれた(וַיִּקְרָא)」。神様が呼んで、神の国への旅路を始めた民に、モーセを通して語られたこと。どうしたら神に近づくことができ、どのように神と歩むのか。礼拝を忘れてしまって奴隷と化した民に、何よりも大切な「礼拝」について、主ご自身が教えてくださっている神様の言葉なのです。
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どうしたら神に近づくことができるのか。これは献げものの規定として最初に記載があり、動物の生贄という現代では全く関係ないことのように読んでしまいます。が、「献げもの」とは、神様を礼拝する時に携えて来るもの=心。可愛がっている猫が時々贈り物を持って来ます。はっきり言って、迷惑極まりない贈り物なのですが、猫にとっては日頃の食事やケアに感謝を表す精一杯の恩返し。その気持ちを知ると受け取らざるを得ない、また可愛さが増すのは必至でしょう。神様もまた、その品やお金を受け取るのではありません。大切なのはその「心」です。
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そして、どうしたら神と共に歩むことができるのか。これは「聖別」すること。ヘブル語では、賛美にもある「カドシュ(Kadosh)」で、本来の意味は「分離させる、取り分ける」。聖なる神と共に神の国に住む者として、神の絶対的聖を汚すことはゆるされることではなく、そのために日常生活においても、聖と俗(汚れたもの)とを峻別する指針が記されているのです。
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しかしこの「聖別」は、人間の力で成し遂げること、続けることはできませんでした。命は命によってしか贖うことができません。だからイエス様は、十字架という究極の方法で全人類の救いを導かれたのです。そのイエス様も公生涯で仰った“最も大切な教え”もまたこのレビ記あります。
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少し前のメッセージでも聞きましたが、この直前には、「復讐するは我にあり」があります。さばきは神様がされます。私たち人間は、さばき合うのではなく、愛し合う存在として創られました。神様を愛し、人を愛する。それこそが神の御国であり、イエス様の光の中で見出せる“最も大切な教え”
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