きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

きょうの教会“春”ごはん

2015年03月14日 | 羊のご飯


春です!とは言え、ロサンゼルスはここしばらく30度超えの暑い日が続き、春を飛び越して夏になったかも?と思うほど。ロサンゼルスも聖書の世界、パレスチナ地方も、気候区分としては同類の「地中海性気候」です。パレスチナはもっと激しい両極端で、クリスチャン新聞のエッセイでは、「この地にあるのは基本的に夏と冬の2つの季節で、夏は乾燥して厳しく、冬もまた寒い。」と書かれていました。

更にそこに聖書には「春」という言葉がない、と書かれていてビックリ。早速チェックしました。「春」はほとんど「春の雨」という雨を伴う言葉で登場するのみです。「春の雨」は、実際には「後の雨」という意味の言葉であって、わかりやすいように「春の雨」と訳しているそうです。私たち日本人が「梅雨」とだけ言うのを、外国人は「6月の長雨」とか、「夏になる前の季節的な雨」と説明っぽく言うのと同じでしょうね。確かに、「夏」と「冬」は聖書に登場しますが、季節としての「春」という言葉は見つかりませんでした。(口語訳では、新年という意味での春がいくつかありました。)

地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも 寒さも暑さも、夏も冬も 昼も夜も、やむことはない。(創世記8:22)

あなたは、地の境をことごとく定められました。夏と冬を造られたのもあなたです。(詩編74:17)

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。(マルコ13:28)

しかし、「春」がない訳ではありません。冬と夏の間の短い時ですが、移行時期に「春」があり、「秋」があります。イスラエルでも、アーモンドなど幾種もの花が咲き、草が芽吹き、鳥が囀り、風が和らぎ、「春」が訪れます。雅歌ではその風景が美しく語られています。

ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
 花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。
 いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。
 恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。(雅歌2:11-13)

「春」という言葉はなく、でも「春」はある。その「春」は新しいいのちに溢れた時であり、愛しい人に会う時、そして過越の祭りの時で、刈入れの季節で、それを「後の雨」が知らせる。そんなことを考えた興味を惹かれる発見でした。睦美のちょっとした聖書アドベンチャー?

思わず興奮して前置きが長くなりましたが、「春ごはん」の雰囲気でちらし寿司に初挑戦。母が得意だったお料理です。母直筆のレシピを送ってもらって、トライしました。菜の花畑をイメージして、いり卵でしつらえました。黄色味にかけ、満開っぽくならなかったのはご愛嬌。



ロサンゼルス(グレンデール)の家の教会で、毎週集まっています。牧師なし、会堂なし、聖書のみ、お食事付き!毎週土曜日朝に、集まって祈り、分かち合いの時を持っています。一度でも、「教会って敷居が高い。。。」と悩んだことのある方、ぜひこちらへ!教会は平和と笑いと聖霊様の満ちるところ。ただ、それだけを目指して、小さな群れながら、神様を礼拝します。いつでもご連絡ください!213-324-6942 / MUTSUMI


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