「さいたさいたさくらがさいた」は、三岸節子さんが93歳で描きあげた最後の作。
100号の大きな桜の花の前に立ちじっと見つめると、自然と瞼が熱くなって困ります。
さて、いつもそんな桜の花の前に立つたびに、描かれた桜の花びらの枚数が違ってきます。
画布に向かって右半分に1枚、左半分に2枚の計3枚に見える時。
右は同じく1枚だけど、左は花びらの塊が2つあって花びらの枚数にすれば夥しくて数えきれない時。
更には、画布の右半分も無数の花びらの塊であって、左右共に大きな渦を巻いている時。
当然ながら描き込まれた桜の花びらと私との距離は、見える枚数によって大きく変わってきます。
枚数が少ないほど、絵に吸い込まれた私は、その花びらが発する精気と妖気によって、制御することができない自らの姿勢を次から次へと翻弄されて自由が利かない移り行く様が、そんな自分をなにやらクールな心持で遥か遠くから眺めているようであり、立ち位置を失った夢の空間の柔らかな陽射しを堪能しているようでもあります。
画布に込められたエネルギーが、とてつもなく大きく感じる時です。
100号の大きな桜の花の前に立ちじっと見つめると、自然と瞼が熱くなって困ります。
さて、いつもそんな桜の花の前に立つたびに、描かれた桜の花びらの枚数が違ってきます。
画布に向かって右半分に1枚、左半分に2枚の計3枚に見える時。
右は同じく1枚だけど、左は花びらの塊が2つあって花びらの枚数にすれば夥しくて数えきれない時。
更には、画布の右半分も無数の花びらの塊であって、左右共に大きな渦を巻いている時。
当然ながら描き込まれた桜の花びらと私との距離は、見える枚数によって大きく変わってきます。
枚数が少ないほど、絵に吸い込まれた私は、その花びらが発する精気と妖気によって、制御することができない自らの姿勢を次から次へと翻弄されて自由が利かない移り行く様が、そんな自分をなにやらクールな心持で遥か遠くから眺めているようであり、立ち位置を失った夢の空間の柔らかな陽射しを堪能しているようでもあります。
画布に込められたエネルギーが、とてつもなく大きく感じる時です。