あるウソつきのブログ

日本の左翼が売国的すぎて、本当の左翼がいない事を嘆く、多分左翼的な人のブログです。

君が代を大声で

2016年08月10日 22時52分54秒 | オリンピック
 久々に、産経抄を取り上げようと思う。

【産経抄】声が裏返るまで歌え 8月10日
http://www.sankei.com/column/news/160810/clm1608100003-n1.html

 まずは、思わず金メダルおめでとうと言いたくなる、涙腺が緩みそうないい記事だと思った。体操ニッポンは、こうやって世代を引き継いでいくのだなと。記者が日本を誇らしく思っている事が伝わってくる。

 まあ、そこは今回置いておこう。今回オレが注目したキモは、当然ここだ。産経抄記者も当然わかっている。タイトルにしたぐらいだからな。

エースの内村航平選手(27)は表彰式の前、メンバーに呼びかけていた。「声が裏返るまで歌ってやろう」。同じ「裏」の字が入っていても、丸谷さんの小説とは正反対の意味である。実際、金メダルを首にかけた5人は、大声で「君が代」を歌っていた。

 イチローがWBCで日本人である事を誇らしげに語ったり、日本の、世界的に注目を集めているトップアスリートから、俺は団塊の世代にはないエネルギーを感じている。時代の変化というか。

 だって「君が代を、声が裏返るほど高らかに、みんなで歌ってやろう」だぜ?
 なんという羨ましい体験であろう。発想であろう。底抜けの明るさを感じる。

 この発想は、俺らの世代以上は出てこない。特に団塊の世代とかは絶対に出てこないし、思っても口にしない。仮に、内村選手のような事を考えたとしても、この世代の連中は少々君が代に忌避感があるので、うっかり口にすると浮いちゃうかもしれないという恐怖があるのだ。

 なんせ、俺の小中学校では、音楽の教科書の一番後ろのページが君が代であったにも関わらず、そこに配られた校歌のプリントを、全面的に糊付けして貼らされたのである。おかげで校歌は覚えていても君が代の歌詞を覚えていないし、メロディラインすら知らなかったりする。

 君が代を一度も斉唱する事なく学業を卒業してしまい、歌えないのである。

 団塊の世代ではなくとも、俺らでも、当然君が代は歌えるし、歌うべきだとも思う。でも、それはどこか厳粛さをまとっているように思うのだ。
 それは、俺が小中学校で施された、呪いのような自虐史観である。その後の、それに紐づくマスコミの国旗国歌に対する取り扱いである。

 まるで、原爆投下時や911テロ発生時の黙祷のような面持ちで、我が国の国歌を歌ってはいないだろうか。

 国歌なんて、どんなふうに歌ってもいいはずだ。アレンジ上等。ホンモノをリスペクトしているからこそ、アレンジが生まれるのは、サブカルチャーが好きな俺らなら、みんな知ってるはずだ。

 右派とか保守とか言われる方々の中には、日の丸や君が代を神格化してしまっている方も見受けられるが…。
 日本の素晴らしいところってのは、どこだったっけ?なんでもかんでも、いいものは受け入れて、魔改造してハイスペック化してしまうところだろう?

 オリンピックの勝ちは、健全なナショナリズムを発露してくれる。その中でも、これまでで最も喜ばしいエピソードだったと思う。これはちょっとした事件だよ。「君が代事件」

 なんにせよ。何を置いても、体操ニッポン。復活おめでとう!

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