【ポストセブン】今年初めて靖国に参拝の議員になぜ昨年は見送ったか問うべき【落合信彦】
http://www.news-postseven.com/archives/20130923_211054.html
これはぐう正論。ぐう正論部分を抽出してみよう。
うむ。まったくもってその通りであろう。
が、俺はここでこの正論をぶった落合氏に反論したいと思う。
ウチの嫁の実父もそうだったが、こーゆー人達は「白い政治家」を好むのである。黒い政治家は問題外であって抹殺すべきだし、白い政治家しか必要ないと言う。当時は麻生総理だったが、「グレーな政治家は黒にも等しい売国奴だ」と言い、麻生元総理を叩きまくっていた。
以前から、ウチではこう主張している。
完全なる清流には魚は住めない。
落合氏の求めているものは、一片のシミも存在しない、真っ白の完璧なる政治家である。
そんなものはこの世に存在しないのだ。
俺も、落合信彦のように昨今唐突に増えた靖国参拝論者にイラッとこないわけではない。
が、しかしこれは必要だと思うのだ。信念で苦しくとも靖国参拝を継続しつづける強者が少数いるよりも、靖国参拝しやすい空気が出来、大衆に迎合して参拝する人が激増する方が重要なのだ。
靖国神社に参拝を勧める産経や読売が喜ぶのは悪くない。
以前、麻生元総理の時、マスコミは麻生総理を総スカンにした。本来麻生氏の味方をすべきだった櫻井よしこのような保守すら、麻生総理を叩き倒していた。
当時俺は慟哭していた。「そんなどうでもいい事で麻生氏を叩き、鳩山政権が実現して本当にいいのか」と。
落合氏は、当時の麻生総理を叩いていた櫻井よしこに通ずるモノを感じる。
落合信彦や櫻井よしこのような連中に怒りを感じるのだ。お前らのような存在が、鳩山民主党政権を作り上げたのだと。
それでも。俺は落合信彦や櫻井よしこを無差別には叩かない。間違った事を言っていると思った時しか叩かない。鳩山や菅みたいに、存在そのものを否定したいぐらいに叩きまくりたいけどな。
それをしない理由は、例えば靖国参拝であれば、両氏は靖国参拝を支持しているからなのだ。ある局面では味方になりえる人々。そういう人々とは完全に敵対してはならないと、俺は思う。
今回、俺が落合信彦を、彼の物言いが正論だと言いながらも叩く理由は。
彼の言動が靖国参拝者を萎縮させ、減らす可能性があるからだ。
まるで資格論だよ。アンタの物言いでは、過去連綿と靖国参拝をしていた人しか参拝できなくなる。いろんな人が気軽に参拝し、それが当たり前になっていく事の方が、余程素敵な事なのにだ。
俺は、無論政治家に信念は必要だと思うものの、信念がない政治家については、せめて大衆迎合ぐらいはしなければならないと思うのである。信念もなく、大衆迎合もできない政治家なんぞ、単なるタダ飯喰らいだよ。「大衆迎合もできない政治家は人間として最低」なのだ。
保守論客は、なぜか白黒・ゼロサムな意見持ちが多いと思う。それは愚かだ。
左派志向でありながら、自民党と連立していられる公明党議員の爪の垢でも煎じて飲めと言ってやりたいわ。
それは、麻生総理時代に公明党を叩いてた連中にも言えると思う。
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ケンカ国家論
http://www.news-postseven.com/archives/20130923_211054.html
これはぐう正論。ぐう正論部分を抽出してみよう。
残念なのは安倍を含む“参拝派”たちが中韓と同じ土俵で争っているようにしか見えないことだ。
安倍はわざわざ昨年の自民党総裁選の記者会見などで、「第一次安倍内閣(2006~2007年)において参拝できなかったのは痛恨の極みだ」と表明した。これは中韓のような品位を欠く国家が相手であれば挑発行為になる。国に命を捧げた者たちに穏やかな気持ちで祈りを捧げたいと思うならば、こんな言葉は必要ない。
安倍は戦没者への「尊崇の念」という言葉をよく使う。だが、自分で煽った挙げ句に当日は参拝せず逃げ出すのだから、そこには尊崇の念のかけらも感じられない。
結局、参院選などの結果から安倍のような保守路線が人気があると判断し、参拝する者が増えただけである。
うむ。まったくもってその通りであろう。
が、俺はここでこの正論をぶった落合氏に反論したいと思う。
ウチの嫁の実父もそうだったが、こーゆー人達は「白い政治家」を好むのである。黒い政治家は問題外であって抹殺すべきだし、白い政治家しか必要ないと言う。当時は麻生総理だったが、「グレーな政治家は黒にも等しい売国奴だ」と言い、麻生元総理を叩きまくっていた。
以前から、ウチではこう主張している。
自分の心情に100%マッチする政治家は存在しえない。政治はベストを選択するものではなく、ベターを選択するものなのだ。そして、ベターすら存在しないのであれば、自分で出馬するか、自分の考えに賛同してくれる人の出馬を促すべきである
完全なる清流には魚は住めない。
落合氏の求めているものは、一片のシミも存在しない、真っ白の完璧なる政治家である。
そんなものはこの世に存在しないのだ。
俺も、落合信彦のように昨今唐突に増えた靖国参拝論者にイラッとこないわけではない。
が、しかしこれは必要だと思うのだ。信念で苦しくとも靖国参拝を継続しつづける強者が少数いるよりも、靖国参拝しやすい空気が出来、大衆に迎合して参拝する人が激増する方が重要なのだ。
靖国神社に参拝を勧める産経や読売が喜ぶのは悪くない。
以前、麻生元総理の時、マスコミは麻生総理を総スカンにした。本来麻生氏の味方をすべきだった櫻井よしこのような保守すら、麻生総理を叩き倒していた。
当時俺は慟哭していた。「そんなどうでもいい事で麻生氏を叩き、鳩山政権が実現して本当にいいのか」と。
落合氏は、当時の麻生総理を叩いていた櫻井よしこに通ずるモノを感じる。
落合信彦や櫻井よしこのような連中に怒りを感じるのだ。お前らのような存在が、鳩山民主党政権を作り上げたのだと。
それでも。俺は落合信彦や櫻井よしこを無差別には叩かない。間違った事を言っていると思った時しか叩かない。鳩山や菅みたいに、存在そのものを否定したいぐらいに叩きまくりたいけどな。
それをしない理由は、例えば靖国参拝であれば、両氏は靖国参拝を支持しているからなのだ。ある局面では味方になりえる人々。そういう人々とは完全に敵対してはならないと、俺は思う。
今回、俺が落合信彦を、彼の物言いが正論だと言いながらも叩く理由は。
彼の言動が靖国参拝者を萎縮させ、減らす可能性があるからだ。
まるで資格論だよ。アンタの物言いでは、過去連綿と靖国参拝をしていた人しか参拝できなくなる。いろんな人が気軽に参拝し、それが当たり前になっていく事の方が、余程素敵な事なのにだ。
俺は、無論政治家に信念は必要だと思うものの、信念がない政治家については、せめて大衆迎合ぐらいはしなければならないと思うのである。信念もなく、大衆迎合もできない政治家なんぞ、単なるタダ飯喰らいだよ。「大衆迎合もできない政治家は人間として最低」なのだ。
保守論客は、なぜか白黒・ゼロサムな意見持ちが多いと思う。それは愚かだ。
左派志向でありながら、自民党と連立していられる公明党議員の爪の垢でも煎じて飲めと言ってやりたいわ。
それは、麻生総理時代に公明党を叩いてた連中にも言えると思う。
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