ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

アーメン 1998.6.1

1998-06-01 15:15:06 | 嫩葉
アーメン
「アーメン」という言葉は、日本ではキリスト教を意味する隠語となっている。「あいつはアーメンだ」と言えば、彼はクリスチャンであるということを意味する。しかし、一般的には「アーメン」という言葉の意味はほとんど知られていない。この言葉はキリスト教では祈りや賛美歌の最後に必ずと言っていいほど付加される言葉であるが、もともとはヘブライ語で「本当に」とか「真実に」という、いわば「だめ押し」の言葉である。今唱えた他人や自分の祈りや賛美の言葉が自分の思い、願いであるということを「アーメン」という言葉を付加することによって表明するのである。 考えてみると、わたしたちが毎日口にしている言葉の中でどれだけが本当に「自分の言葉」であろうか。ほとんどが、誰かの言葉の口移しであったり、伝聞であったり、しかも誰かの「主観的な判断」が付加されている言葉である。そういう言葉が「主観」を離れてあたかも客観的な事実のように伝えられるとき、どれほど人を傷つけ、不信感の原因になることか。しかも、それを語る人は、「自分の言葉」ではないので、その言葉に責任を持たない。自分で考え、自分で見、自分で確かめ、自分の願いである言葉が、「アーメン」である。 「うわさ」というものは恐ろしい。なぜなら、その「うわさ」が本当でなかったということが明らかになっても、それを口にしていた人の誰も「自分の言葉」として責任を感じ「悔い改める」ということがないからである。 「アーメン」という言葉には、わたしの語った言葉を本当に「自分の言葉」にしてください、という願いが込められているように思う。聖書の中に「アーメンである方、誠実で真実な証人」(黙示録3:14)というイエス・キリストを指し示す表現がある。その意味ではわたしたちの誰も本当の意味で「アーメンである者」にはなり得ない。しかし、少なくともそうなりたいと願っている。(牧師・園長 文屋善明)

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