ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

保育証書 2003.2.1

2003-02-01 08:52:41 | 嫩葉
保育証書
一人一人の卒園児に保育証書を手渡しながら、わたしはその子の入園の頃のことを思い出している。そして、3年間あるいは2年間お預かりしている間に、この子に十分な保育をすることができたのだろうか、と反省する。
この間の子どもの成長は著しい。どの子にしても、身体的にはすっかり姿変わりをしている。生活習慣も、言語も、2~3年前とは全然違う。それらは、その子自身の内部にある生命力によるものであろう。この子は、どこででもその程度の成長はしたであろう。たとえ幼稚園にこなくても、人間の子どもであるならば、その程度の成長はするものである。はたして、西大和双葉幼稚園はこの園児になすべき保育を十分にしたのだろうか。自然的な成長にプラスする何か、この幼稚園に入園したからこそ経験できた何かを与えることができたのだろうか。園長は一人一人の卒園児に「保育証書(保育をしたという証)」を授与しながら反省する。
子どもは子どもなりにいろいろな悩みや悲しみを心に抱いている。お友だちのこと、父親のこと、母親のこと、幼稚園の教師のこと、それらの悩みを話したがっているし、話さないで我慢しているときもある。
子どもは生まれた瞬間から「受け入れられるか、否か」という根源的な問題に直面して、人生が始まる。これは言語を習得する以前からの大問題である。従って、この「受容」の濃淡は深刻な問題となる。子どもの悩みの原点は「受け入れられるか、拒絶されるか」ということにある。
幼稚園において園児たちが経験すべき最も重要なテーマは、「受け入れられる」という受動から、「受け入れる」という能動への発展である。子どもが友だちや大人たちを「受け入れる」ことができるようになるためには、自分は「受け入れられている」という土台が重要である。
少し理屈っぽくなってしまったが、わたしたちの幼稚園の保育の中心点はここにある。当園では毎日のミーティングにおいて、このことのためにかなりの時間が取られる。事務的な打ち合わせはものの、5分か10分で済むが、園児たちが発する様々なサインについて、全教師がいろいろな場面の中で発見したことを報告し合い、心の悩みを分析する。そして、今、この園児たちにどのような援助が必要か相談する。これが当園での「心に触れる保育」である。「触れる」とはやさしく包むことでもあり、刺激を与えることでもある。触れられてうれしいときもある。触れられるのがいやなときもある。しかし、触れなければ子どもは成長しない。(園長・牧師 文屋善明)

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