ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

男と女 1998.9.1

1998-09-01 15:18:04 | 嫩葉
男と女
日本聖公会は長い伝統を破って本年5月の総会において法規を改正し、女性にも司祭になれる道を開いた。このために10年以上にわたる激論が内部において続けられ、特にこのことについて反対して来た聖職や信徒たちには苦しい議決であった。長い議論の中で、わたしたちは「男とは」「女とは」という議論から、社会における男の役割、女の役割というについて学んできた。議論そのものが最も困難であったのは、男性も女性も共に、伝統的な男女観(主に男尊女卑の枠組み)に支配され、男と女のありのままの姿が見えにくくなっていることであった。 同じことが、子どもを育てるという人類にとって基本的な課題についても、男の役割、女の役割、具体的には父親の分担、母親の分担についても言えるのではないだろうか。 昨年8月、文部大臣から中央教育審議会に「幼児期からの心の教育の在り方について」諮問が出され、本年6月30日に中間報告が答申された。この報告の要点が奈良県の教育委員会経由で当園にも送られてきた。内容は画期的というよりも、基本的すぎるように思われる。というよりも、あまりにも当然すぎることの繰り返しで「面白味はない」。しかし、教育というものを考える場合には、奇を衒ったようなものよりも、基本的であるということは決して悪いことではない。この答申の眼目はどうやら、子どもの教育の中心的な役割を学校や幼稚園から家庭に戻そうという発想であるらしい。 「もう一度家庭を見直そう」という章が設けられ、「円満な家庭」「夫婦の協力」「家族同士の会話」等々の言葉が繰り返されている。その中で興味深いことは、「父親の影響力を大切にしよう」という呼びかけのもとに、「仕事中心の父親像」や「友達のような父親像」が批判されている。さらに、この批判は地域社会を取り扱った章では「企業中心社会から『家族に優しい社会』への転換を図りましょう」という呼びかけにつながる。この様なスローガンを文部省が国民に訴えなければならないということ自体がわたしたちの社会の大問題であろう。幼稚園の現場からは園児たちの父親たちの声や姿が見えてこない。今日、父親たちが子どもの教育に関わるということは、もはやそれぞれの家庭内の問題にとどまらず、社会的な問題である。 (牧師・園長 文屋善明) 

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