ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

母親 2000.1.1

2000-01-01 16:17:04 | 嫩葉
母親
東京都文京区で起きた春奈ちゃん殺害事件以後,「世間の目」は母親たち,特に幼稚園児をもつ母親たちに向けられている。それは決して「暖かい目」ではない。同時に多くの母親たちからの告白に似た発言もある。ただ,それらのほとんどは匿名である。
今朝の朝日新聞(1999.12.12)の社説の欄でも「自分らしく生きて」という見出しで「公園のママ」たちのことが取り上げられ,「みんなと同じでなくてもいい,と腹を決めること。勇気を出して,自分の考えを少しずつでも伝えていくこと。」という提案がなされている。これはまさに「言うは易く,行なうは難し」のことわざのとおりであろう。
母親たちと「世間」の関係は複雑である。「世間」という得体の知れないパワーの原動力は母親たちで自身あり,母親たちが集団化して消費者団体となるとき,生産者たちは恐れ,またPTAとなると,校長たちはじたばたする。しかし,このパワーが個人としての母親に向かうとき,悲劇が起こる。
今,わたしたちはクリスマスを迎えようとしている。クリスマスは幼子イエスの誕生物語であるが,同時に母マリアの出産の出来事でもある。乙女マリアは,天使からイエスの誕生のお告げを受けたときから「世間」との戦いが始まった。夫ヨセフは「世間の目」を意識して,「マリアのことを表ざたにすることを望まず,ひそかに縁を切ろうとした」(マタイ1:19)。「世間」は陰でひそひそと,時にはあからさまにマリアを攻撃したであろう。「世間」は乙女マリアの「弁明」に耳を傾けるほど甘くはない。夫ヨセフも天使に説得されてやっとマリアの言葉を信じたくらいである。それから「月満ちるまで」約10ヶ月,「世間」から何を言われようと,マリアはただ沈黙を守り,イエスを無事に産むという使命に全精力を注いだ。イエスの誕生後もマリアと「世間」との戦いは続く。福音書の記事を読むと,「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」(ルカ2:19)イエスが12才のときの出来事においても「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」(ルカ2:51)という言葉が見られる。母親は「心に納める」ということによって「世間」に勝つ。
神のみ子イエスの誕生物語は,同時に母マリアと「世間」との戦いの記録でもある。母は「世間」と戦うことによって子どもを産み,育てる。(園長・牧師 文屋善明)

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