ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

おはし 1999.6.1

1999-06-01 16:05:34 | 嫩葉
おはし
インド人の親しい友人がいる。家族で付き合い始めて20数年たつ。彼の家で彼の家族と食事をするのがとても楽しい。付き合い始めた当初はわたしたちに気遣って、ナイフ、フォークで食事をしていたが、だんだん親しみが深まると彼らは素手で食事をするようになった。彼らが素手で整えられた料理を口に運ぶ姿は実に美しい。まるで一流の奇術師のようで、見ているだけでうっとりする。彼らは料理を2度味わうという。まず、手で、次に口で。彼らが食べている姿を見ると、食事のマナーというか、食べ方にしつけの良さというものを感じる。
結婚式などに招かれてお皿の両側に高価なナイフ、フォークが何本も並んでいるフランス料理をいただくときに多少、興奮するが、欧米人がそれらの道具を使って食事をしている姿を見て、美しいと感じたことは一度もない。どんなに豪華な彫刻がされたナイフでもそれはナイフに過ぎない。それらを使って食事をする人々の経済力は推し量られても、料理を口に運ぶ仕草そのものが美しいということはない。ところが、かのインド人のそれはまさにその人格を現す魅力がある。お箸を用いる文化はその両極の中間にあるように思う。マナーというものは装置ではない。むしろ、装置が少なければ少ないほどマナーそのものが明らかになる。
テレビで料理番組が増えてきた。各局ともかなり手の込んだ番組を企画している。しかし、そこに登場するタレントがみっともない箸の使い方をしているとがっかりするだけでなく、怒りさえ感じる。せめて箸の使い方ぐらい練習して欲しいと願う。何度か外国人に箸の使い方を教えたことがあるが、鉛筆を使える人ならば国籍を問わずものの3分ほどで正しい箸の使い方を身につけることが出きる。箸の使い方と鉛筆の持ち方とは原理は同じである。ある小学校の校長先生が入学オリエンテーションで、箸がまともに使えない子どもは勉強もできないとまで言いきっておられた。その理由は、箸が使えないということと鉛筆がまともに持てないこと関係があるという理由であった。わたしはあまり字が上手くないのでそこまで言い切る勇気はないが、箸だけは上手に使って欲しいと思う。なぜなら、たった2本の棒切れでほとんど全ての料理を口に運ぶことが出きるなんて素晴らしいことではないか。しかも、中国文化や朝鮮文化に見られない日本の箸の形、細やかさは洋食器の豪華さに負けない芸術性が感じられる。(牧師・園長 文屋善明)

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