ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

お正月 1999.1.1

1999-01-01 15:53:34 | 嫩葉
お正月
クリスマスもさることながら、日本人にとってはやっぱりお正月です。わたし自身の子どもの頃のことを思い出しても、やっぱりお正月のことを懐かしく思います。 その頃、わたしたちは満州の新京(現在は中国の長春)という所に住んでいましたが、内地と同様まったく日本的な風習に従って門には門松を立て、床の間には鏡餅を飾っておりました。さすがにクリスチャンホームなので「しめなわ」は飾られなかったと思います。 三が日は朝食の時、お雑煮をいただきました。ただ、現在の我が家と違う点は、両親は厳格なクリスチャンだったので「禁酒禁煙」で、お屠蘇はありませんでした。しかし、それは子どもであったわたしたちにはまったく関係のないことでした。お年玉はお金ではなく、主に学用品や「ためになる玩具」であったように思います。元旦の朝は、父は普段と違って着物を着て威儀を正し、すごく長いお祈りをして、家族同士でも他人のようによそよそしく元旦の挨拶をいたしました。それが何か新年を迎えたという新鮮な気持ちをはぐくんだように思います。 朝食後は、家族そろって教会の元旦礼拝に出席しました。それは今でも我が家の元旦の朝のしきたりになっています。 その当時のお正月の最も楽しい想い出は、元旦の午後、近所の人々がお年始に来られることでした。遠い異国の地なので親戚はほとんどいませんでしたが、近所つき合いや父の職場の人たちとの交流は盛んで、我が家にはしょっちゅう誰かが来ていたましたが、お正月は特別でした。酒席こそありませんでしたが、会話はとても賑やかで、特に大人たちについてきている同年代の子ども同士の遊びは楽しかった。むしろ、楽しかったのはよその家に年始に出かけることでした。それぞれの家によって、年始の客の迎え方が違い、それがとても面白かったことを憶えています。 最近、特に思うことは、このお年始という習慣が非常に薄れてきていることです。まず、隣近所にお年始に行くということ、また恩師や、職場の上司や、普段お世話になっている目上の人々にお年始に行くということは、あまり見られない。このお年始に「出かける」ということと、「迎える」というところに、人間関係の上下ということと共に、上下関係を越えた「心の通い」があったように思います。わたしは青年時代から、家庭を持ってから後も、いつも出かける立場でした。お正月が来ると、わたしは「いつ」お年始を迎える立場になるのかな、と考えておりました。しかし、その年頃になると年始の習慣がうすれ、ホッとすると同時に何かさびしい気持ちにもなります。(牧師・園長 文屋善明)

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