博文(ひろぶみ)通信

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ドラフト指名されますように

2013-06-07 18:21:51 | 日記

<6月2日付け産経ニュースより>

浪江町出身の早大・横山投手「故郷のため、亡き恩師のため、プロ目指す」 東京六大学野球

浪江町出身の早大・横山投手「故郷のため、亡き恩師のため、プロ目指す」 東京六大学野球
早稲田大の横山貴明投手=神宮球場(撮影・今井正人)

 東京六大学野球の春季リーグ戦は2日、早慶戦を行い、早稲田大学が前日に続いて慶應義塾大学を下し、幕を下ろした。早大の抑えの投手として、この秋のドラフトでプロ入りを目指す4年生、横山貴明さん(22)は故郷の復興をかけて挑んだ。東京電力福島第1原発事故に見舞われた福島県浪江町の出身。グラブには、津波で失った恩師への思いを刻んでいた。(玉嵜栄次)

 「晴れ舞台にいるよ。潤也さん、ありがとう」

 原発事故のため県内外に散り散りになった両親や妹弟らも応援に来ていた東京・神宮球場。声援を浴びながら、こう思った。2日は登板しなかったが、この1カ月、幾度もリリーフ役でマウンドに立ち、先発した試合もあった。左手に深紅のグラブをはめて。

 《3・11 Junya》

 浪江中学時代の少年野球の監督、渡辺潤也さん=当時(36)=の名と、あの日の日付。東日本大震災から2年3カ月がたつ。

 理容室を営んでいた渡辺さんは地震の直後、消防団員として港近くで大学生を津波から助け出して避難させた後、津波にのまれて行方不明となったままだ。

 「貴明、ピッチャーやってみるか」。中学3年の秋、肩の強さを見込んで、内野手から投手に抜(ばっ)擢(てき)したのが、渡辺さんだった。

 甲子園常連校、聖光学院高校(福島県伊達市)へ進学後も帰郷のたびに野球の話をした。早大へ入った3年前の夏休み、退部を考えた。上下関係の厳しい環境に戸惑い、練習もはかどらず限界を感じた。「もうちょっと頑張ってみないか」。恩師の優しい声は、兄のようだった。だから「監督」ではなく「潤也さん」と呼んでいた。

 「でも、練習ではぴりっと厳しくて、野球の基本は全て潤也さんにたたき込まれました」。最速147キロの直球を自負する。恩師の「直球を磨け」という教えを守ってきた成果だ。

 震災の記憶が風化していく。故郷が傷ついたまま忘れ去られるのが怖い、と思った。プロを目指すことは、復興を願い、恩師の遺志を継ぐことでもある。

 「プロになっていい投球をすれば、自分と一緒に浪江も取り上げてもらえると。元気を届けたいだなんて大げさなことはいえないけれど、浪江で生まれた自分は一生そういうことを考えて生きていかなければならないと思うんです」

 次の目標の秋季リーグに向け変化球を鍛えている。

 「この春は安定したリリーフの役割を果たせたと思う。でも、今のままではドラフトで下位になると自覚しています。秋までに成長を見せたい。潤也さんにも見ていてもらいたい」

 グラブを入れた野球かばんのポケットに忍ばせた1枚の写真を取り出した。恩師がほほ笑んでいた。

*横山選手は聖光学院の高校時代、甲子園に春夏計3度出場し活躍したことは、記憶に新しいところですね。ぜひ、今年のドラフト会議に指名されることを期待します。殉職消防団員の恩師、渡辺潤也さんのためにも。