博文(ひろぶみ)通信

浪江町の今をできる限り発信!

車座ミニ集会

2013-05-16 20:51:24 | 日記

今日は、ある国会議員の車座ミニ集会が、午前中は笹谷仮設住宅、午後は南矢野目・北幹線仮設住宅の3か所でそれぞれ行われました。

私が日頃からお世話になっている国会議員のミニ集会ですので、司会をお引き受けしました。国会議員の国政報告の後の質疑応答では、国政に関する質問は国会議員が、そして町政や議会に関する質問は町議員の立場で私が、お答えをしました。

質問の多くは、災害公営住宅の早期整備や賠償の見直し、除染に関することで、懇切丁寧にお答えしたつもりです。

やはり、今日のミニ集会を通して「町会議員は町民の意見や要望などに耳を傾け、その声を町政に届ける」ことが大切であると再認識した日でした。


中高一貫校

2013-05-15 18:25:40 | 日記

<福島民報ニュースより>

27年度に中高一貫校 設置場所いわき軸 双葉郡教育ビジョン 

 中高一貫校構想を含む双葉郡の教育復興ビジョンを検討する「教育復興に関する協議会」は14日、中高一貫校の設置方針を正式に決めた。新設校の骨子案も示し、平成27年度の開校を目標に掲げ、設置場所は、いわき市を中心に双葉郡南部も視野に入れている。当面は県立学校としての運営を検討する。文部科学省は6月中旬までに内容を取りまとめ、来年度の政府の概算要求に必要経費を反映させる方針だ。
 一貫教育は、入試がない6年間を通じて、厳しい現状に置かれている双葉郡の復興を担う人材を育成するのが狙い。
 骨子案によると、設置場所は郡内から避難している生徒数が多い、いわき市を軸に検討。ただ、復興の象徴として同市に隣接する郡南部に設置を望む声もあり、調整を進める。
 運営主体は、中高一貫校の会津学鳳中高の設置経験がある県とする方向で検討する。国立校は法整備などで開校までに5年以上の準備期間が必要で、早期開設には対応できないと判断した。
 この他、富岡高のスポーツ教育を継承させ、運動施設を充実させる。県外に避難している生徒を受け入れるために寮の併設も想定している。
 カリキュラムでは、1年間の海外留学コースや双葉郡の復興を学ぶ「ふるさと科」の創設などの独自色を打ち出し、福島大の推薦入学枠の設置なども模索する。郡内の幼稚園や小学校との連携も図る。
 開設の時期や場所、運営主体などは次回会合で意見を取りまとめ、教育復興ビジョンに盛り込む。文科省は各町村長の意向も踏まえ、ビジョンを決定する。施設整備の調査費用などを来年度の概算要求に反映させる。
 会合は福島市の福島大で冒頭を除いて非公開で開かれた。終了後、双葉地区教育長会長の武内敏英大熊町教育長は「一貫校ができれば、郡内の子どもたちのコミュニティーが維持できる。町村長の理解を得て、教育の復興の先駆けとしたい」と設置の意義を語った。
 前回の協議会は避難住民の帰還が進む自治体と他の自治体で意見が分かれ、中高一貫校の設置について結論を先送りしていた。
 協議会は双葉郡8町村の教育長が委員を務め、県教委や文科省、復興庁の担当者が協力委員として出席している。

( 2013/05/15 08:47カテゴリー:主要

*中高一貫教育校の設置方針が正式にきまり、ようやく双葉郡の教育ビジョンが示されました。

発災から3年目となり8か町村、教育環境に温度差があり、今後クリアしなければならない課題は多いとは思いますが、魅力ある特色ある学校が開校されることを期待します。


「浪江焼麺太国」

2013-05-14 19:04:02 | 日記

<福島民友ニュースより>

なみえ焼そばで“ギネス記録” テーブルに1427皿達成

 トヨタ自動車の体験型イベント「ドライブ王国2013in福島」最終日は12日、郡山市のビッグパレットふくしまで開かれ、なみえ焼そばを載せた皿をテーブルに並べるギネス世界記録に挑戦、1427皿を達成し、認定された。
 浪江焼麺太国(やきそばたいこく)が協力、ロンドンで達成された麺類を載せて皿を並べるこれまでの記録1288皿を大きく更新した。記録はギネス認定員が審査、同太国の太王(会長)の八島貞之さんらに認定証が贈られた。イベントは県トヨタ車両販売店、レンタリース店、部品共販店との共同開催で、同社の被災地支援活動「ココロハコブプロジェクト」の一環。会場ではこのほか、電気自動車の試乗体験、ゼビオやデンソー東日本の出展ブースも設けられた。
(2013年5月13日 福島民友ニュース)

*八島大王はじめ太国の皆さん、いつもご苦労様です。

5月10日付け福島民報の「民報サロン」というコーナーに、太国の一人であるさんが「浪江焼麺太国」と題し、執筆した記事が掲載されていたのを思い出しました。

「町の郷土料理である「なみえ焼きそば」を全国にPRし、観光客を呼び込んで町を活性化するために「浪江焼麺太国」という団体を立ち上げた。メディア戦略に特化した広報活動や伝統工芸品の大堀相馬焼とのコラボなどメンバーのアイデアで、少しずつ活動が実を結び全国的に「なみえ焼きそば」は有名になりつつあった。しかし、原発事故により全町避難を余儀なくされ、メンバーもバラバラになり、絶望の中で一時、活動は諦めたが、全国に避難している町民を励ましたいと思いから、「心の復興」をテーマに掲げ活動を再開した」という内容でした。(私なりにかなり要約しています。さん、ごめんなさいね)

「浪江焼麺太国」の皆さんは、町の活性化に大きく貢献されたこと、そして被災後、大変な状況の中でも活動を再開されたことは、浪江町民、誰もが認め感謝しています。

本当にありがとうございます

「浪江焼麺太国」


指針の見直し示唆

2013-05-13 18:35:44 | 日記

<福島民報ニュースより>

中間指針の見直し示唆 原賠審、富岡など6市町村 初の調査 

 文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(会長・能見喜久学習院大教授)の委員8人は12日、東京電力福島第一原発事故で避難指示の対象になった県内の市町村で、初めて現地調査を行った。富岡町を訪れた能見会長は調査後、報道陣に対して「震災だけでなく、(原発事故で)住民が長く住めなくなったことで、(住宅の)被害がさらに大きくなっている」と述べ、賠償の範囲や額を定めた中間指針の見直しを検討する考えを示した。
 能見会長は富岡町の田中司郎副町長と町内の旅館に入った。館内がネズミのふんであふれる現状などを目の当たりにし、「1、2年が経過し、雨漏りで天井さえ崩れている。震災直後に修復すれば住める家屋が場合によっては取り壊さなければならなくなった」と強調。「財物賠償が今後の焦点の一つになる」との認識を示した。
 警戒区域の再編にも触れ、戻りたくても、自宅が壊れて住む場所がなくなり、地域コミュニティーが分断されることを懸念した。「できるだけコミュニティーを元通りにすることが各自治体にとって重要。損害賠償だけでなく、他の施策も含め、元の生活を実現させなければならない」と述べた。
 調査は、避難指示の対象になった12市町村のうち、飯舘村、南相馬市、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町の6市町村で行った。6月中旬にも残りの6市町村を調査する。6月下旬に福島市で審査会を開く予定。

( 2013/05/13 09:36カテゴリー:主要

*今日は午前中、議会報編集特別委員会があり、6月1日発行の「議会だより」の編集作業を行いました。また午後は、ここ約1か月間のブランク(理由はご推察の通り)を埋めるため、個人的に町行政の現況(賠償や町外コミュニティ整備、除染などの取り組みについて)を調査しました。帰宅途中には、今週17日開催の浪江町商工会総代会で、以前議長をお願いされたことを思い出し、商工会の仮事務所にて打ち合わせ。そんなこんなで慌ただしい一日となりました。

さて、紛争審査会の現地調査についてはブログで以前からお知らせしていましたが、現地調査した審査会の委員の皆さんに一言。

「実態を体感したならば、指針の見直しに反映するのは当然です」。


仮設診療所開設

2013-05-12 18:16:38 | 日記

 

浪江に仮設診療所開設 一時帰宅の安全確保

 
 

 東京電力福島第1原発事故のため町全域が避難している浪江町は9日、同町役場本庁舎1階に応急仮設診療所を開所した。
 診療所にはベッドを設置し、薬や消毒薬、救急医療セットを用意、一時帰宅する住民の万一の事態に備える。町は4月1日に避難区域が再編され、町民の人口の約8割が日中に立ち入りできるようになった。現在は、1日に約800台の車両が往来、1000人を超える住民が自宅の片付けなどのために出入りしており、けがをしたり、体調不良を訴える町民の応急手当てを行う。
 診療所には毎週木、土、日曜日、祝日に医師と看護師が待機。木曜日は二本松市の仮設診療所で避難住民を診察している関根俊二国保津島診療所長が駐在する。土、日曜日、祝日は相馬郡医師会の医師に対応してもらう予定で日程を調整している。
 馬場有町長は「関係各所の協力で、一時帰宅する町民の安全と安心を担保できた」とし、「町民に安心して帰ってきてもらえるように、恒久的な医療機関として定着させたい。開所が帰町への第一歩だ」と期待を込めた。
 その一方で、「再編前から国や県には(診療所の)必要性を訴えてきたが、いつまでも待っていられない。町にできることは先陣を切ってやっていく」と国などの対応の遅さに不満をにじませた。
(2013年5月10日 福島民友ニュース)

*関根先生には、中山間地域である津島地区の津島診療所の医師として長く地域医療を担っていただきました。また先生は、原発事故以降、避難する町民と共に移動し診察を続けられております。多くの町民が、先生に命を預けていると言っても過言ではないでしょう。

他紙によると、仮設診療所の開設準備も引き受けられ、また相馬郡医師会の関係者に土、日曜日、祝日を担当してもらえるよう何度も掛け合い、協力を得られたそうです。

現在、郡山市の自宅には帰らず、二本松市のビジネスホテルに寝泊まりされているそうです。どうか健康に留意されますようお願いいたします。