博文(ひろぶみ)通信

浪江町の今をできる限り発信!

辞令交付式

2013-05-21 17:12:50 | 日記

今日は、町監査委員の辞令交付式が浪江町役場二本松事務所にて行われ、馬場町長より辞令書をいただきました。考えてみれば53年目にして「辞令」なるものをいただくのは、初体験でした。

式の後は6月定例会の一般質問を行う予定であった、町内外のコミュニティ整備、仮置き場の設置などの内容について(先日もふれましたが、今後4年間は本会議での質問が制限されますので)町長、両副町長と会談をしました。

今後は、しっかり監査委員の使命を果たしたいと思います。

*監査必携の第2編標準監査基準 

第1節一般基準 

(監査委員の使命)

第3条

監査委員は、法令により定められた権限に基づいて、町村の財務に関する事務の執行及び町村の経営に係る事業の管理又は町村の事務若しくは法定受託事務の執行について監査等を実施し、その結果に関する報告を決定し、これを議会及び町村長等に提出し、公表することなどにより、民主的かつ効率的な行財政の執行に資し、もって住民の福祉の増進と地方自治の本旨の実現に寄与しなければならない。

                                        

      


一時帰宅

2013-05-20 17:42:39 | 日記

今日は、一昨年の3.11にそろばん塾に来ていた生徒の皆さん(午後2時46分には通常であれば、まだ誰も来ていない時間なのに、その日に限って浪江小の1年生と、苅野小の4年生以下が来ていました)の置いてあったそろばんバックなどを取りに、久しぶりに一時帰宅しました。

地震で教室は「机・椅子・6台のパソコン・教材などがごちゃごちゃと・・・」。妻と二人でやっとこさ18名のバックなどを見つけ出しました。教室の黒板の右端には、「3月11日(金)」とその日の日付が、中央から左上には「次のそろばんは、15日(火)」と書かれたままで、あの日から時が止まったままの空間でした。

帰りに津島活性化センターで持ち出したバックなどをスクリーニングしてもらいましたが、全て検出限界値以下でした。2年以上が過ぎ、今となってしまえば思い出の品と化してしまいました(生徒・保護者の皆さん、ごめんなさい)が、今後は、生徒の避難先の住所や保護者の携帯番号を調べ、希望者には送り届けたいと思います。

なお、生徒・保護者がブログをみていましたら

jyuku-88@mopera.net

までメールいただきたいと思います。よろしくお願いします。

 


起業家

2013-05-19 17:53:50 | 日記

<5月15日産経新聞より>

 震災後も浪江は「自慢の故郷」 事業再開へ…4代目社長の決意

  商品の材木はバラバラに崩れたまま。しかし、製材機には、大きな傷はない。福島県浪江町で大正6年から続く「阿久津材木店」。4代目社長、阿久津裕司さん(42)は12日、再開への下見も兼ねて久しぶりに工場に入った。そして、製材機を見つめ、こう語り始めた。「これは、ひいじいさんの代から受け継いでいる宝物。この音を聞いて育った。もう一度、製材の音を響かせたい」

 工場のある権現堂(ごんげんどう)地区は4月、東京電力福島第1原発事故による警戒区域の再編で、避難指示解除準備区域に指定された。製造業など居住者を対象にしない事業が可能になったが、事業を再開した人はいない。町商工会のアンケートでは、町外で事業を再開した人の4割が浪江での事業を「行う考えがない」と答えた。

 震災で浪江を後にし、平成23年7月に福島県相馬市で材木店を再開したが、そこに製材機はない。阿久津さんは、浪江で事業を再開する「第1号」になろうと決めている。

 「先駆者がいれば、みんな様子を見に来る。成功していると知れば、後に続こうとする。だから、先陣を切るんだ」

 震災の翌朝、追い立てられるように避難した後も、浪江で事業を再開する決意は揺らぐことがなかった。両親と妻、高校3年、小学6年の2人の息子を避難先の東京に残し、単身相馬で事業を再開したのも「近くで事業を軌道に乗せておけば、浪江に戻りやすい」と考えたからだ。

 相馬に新工場の用地を確保し、新たな一歩を踏み出そうとした23年5月、兄=当時(45)=が避難先で急逝した。大切な兄と、浪江での仕事を奪った震災。「でも、震災と原発事故のせいで人生が変わったとは思いたくない。震災前以上のものを手にしたい」

 葬儀を終えると、相馬に戻って工場予定地の草むしりをした。事業再開後は、寝る間も惜しんで仕事に打ち込んだ。「原発事故で死ぬ思いをしたんだ。もう怖いものはない」と自身を奮い立たせた。

 今年3月、東京で暮らす2人の息子が「おれはいつか、浪江に戻る」と言った。親子でそういう話をしたことがなかったので驚いたが、徐々にうれしさが込み上げてきた。

 「自分の背中を見ていてくれたんだ」

 工場を出て、車で町を走った。メーンストリートに残る倒壊したままの家屋、打ち上げられた漁船の周囲に高々と生い茂る草。震災直後と変わらない町の姿に、怒りが込み上げる。

 自身も損壊した自宅や事務所を建て替えて事業を再開するつもりだが、がれきの仮置き場が決まらず、動き出せないでいる。「町や国は復興への意欲がある人の動きをどうして止めてしまうのか。時間がたてば、町へ帰ることをあきらめる人は増える一方だ」

 そう話す表情がふとやわらいだ場所がある。町を流れる高瀬川。のぞき込むと、澄んだ水の中に魚影がゆらゆらと見える。

 「間もなくアユが上ってきて川がきらきらと輝く。高瀬川のアユは日本一。山で採れるマツタケは絶品だし、海では何でも釣れる」

 満面の笑みが広がった。震災後も、浪江が「自慢の故郷」であることは変わらない。

 「放射能の心配がなくなれば浪江に住みたいという人はいる。そして、お祭りや伝統行事を復活させる。帰りたくなる町を作れば、みんな戻ってくると思う」

 そして阿久津さんはこう続けた。「故郷って、そんなに軽いものではない。簡単にあきらめられるほど、故郷は軽くない」

 

*以前、相馬工場へ伺い、再開にあたっての苦労話など被災後の様々な話を阿久津社長から聞きましたが、4代目ではなく「起業家」の阿久津社長とその時感じたことを、この記事を読み思い出しました。

「浪江町の復興」を考えている若き社長を後押しするのは、「私たち議員の責務である」と肝に銘じました。


附帯決議?

2013-05-18 17:20:28 | 日記

<福島民友ニュースより>

時効撤廃の特例法案可決 和解仲介申し立て前提

 衆院文部科学委員会は17日、東京電力福島第1原発事故の損害賠償について国の「原子力損害賠償紛争解決センター」に和解の仲介を申し立てている場合に限り、賠償請求権の3年の時効が過ぎても東電に賠償を求めることができるようにする特例法案について全会一致で可決した。また、原発事故の賠償請求権について、全ての被害者が権利を失わないよう民法に定められた3年間の時効をどう取り扱うか、新たな法的措置の検討も含め対応すべきとする付帯決議も可決した。
 政府の特例法案は、和解仲介が継続中の人が3年の時効を迎えた場合、和解仲介の打ち切り通知から1カ月以内に裁判所に訴訟を起こせば、和解仲介の申し立て時に提訴したとみなし、賠償請求権の消滅を防ぐ内容。民法上の時効が早ければ来年3月11日に迫る中で一定の対策にはなるものの、和解仲介を申し立てていない人の時効消滅までは救済できないため、本県の被災自治体や日本弁護士連合会などが時効そのものの撤廃を求めていた。
(2013年5月18日 福島民友ニュース)

*委員会は、原発事故の損害賠償請求権について、なぜ「前提付の時効撤廃」の特例法案を可決したのか。

附帯決議を可決したとしても、私は甚だ疑問です。

 

『ウィキペディア(Wikipedia)』より、附帯決議について転載しました。

附帯決議

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
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附帯決議(ふたいけつぎ)とは、国会衆議院及び参議院委員会法律案を可決する際に、当該委員会の意思を表明するものとして行う決議のこと。 また、地方議会においても委員会で議案を可決する際に、同じく附帯決議がなされることがある。

意義 [編集]

国会の委員会における附帯決議の場合、その法律の運用や、将来の立法によるその法律の改善についての希望などを表明するものである。法律的な拘束力を有するものではないが、政府はこれを尊重することが求められる。

その他 [編集]

その内容は委員会での審議を踏まえたものとなるため、原則として審議中に議論されなかった事項に関しては決議されることはない。 附帯決議は委員会毎に行われるので、同一の法案に対するものであっても、衆議院と参議院のそれぞれの委員会でその内容が異なることが多い。

本案とは別個に議決され、本会議にも報告される。また慣例として、全会一致で決議される。

報道では「付帯決議」と平易化して表記される例が多いが、国会会議録に掲載される原本では「附」の文字を用いる。

 


総代会で議長

2013-05-17 22:44:17 | 日記

 

今日の午前中は、議会報編集特別委員会を開催し、最終編集作業を行いました。3月定例会での25年度一般会計予算審議や改選後初となる5月8日開催の臨時会で決定した委員会委員の構成などが掲載予定です。なお、発行のための最終確認を来週21日に正副委員長会議にて行い、その後、発行責任者である議長に承諾を得て、6月1日発行となりますので、ぜひご愛読ください。

午後には浪江町商工会総代会が岳温泉であり、3区総代として出席し、2年連続議長を務めました。総代員数145名中、出席者数102名(本人出席39名、代理人出席63名)と多くの方々が、非常時でありながらも避難先の各地から出席されました。「事業の再開の有無に係わらず、これほどの出席者数とは、やっぱり浪江町民(浪江町の事業主)は義理人情に厚いなぁ」と感じました。(カメラを忘れてしまい、総代会の様子を伝えられませんが・・・・)

終了後は懇親会がありましたが、欠席。(以前から約束した会合()があり出席のため)

というわけで、今ほど帰宅しました。