著者のデビュー作がこれだと知り、遅ればせながら読んだ。
文庫本の解説の冒頭を読むと、本書が著者のデビュー作、しかも初めて書いた小説だったという。小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した作品である。
当初、2008年10月に『実さえ花さえ』の題で単行本が刊行された。それに加筆、改題して、2011年12月に文庫化されている。
かなり前に、何の本だったか忘れたが、江戸時代に朝顔が園芸品種として盛んに栽培されその交配により様々な新種が生み出されたこと。園芸が一種の流行となっていて、下級武士層の内職仕事になっていた側面もあったこと。今では見られない品種も存在したことを読んだ記憶がある。また、染井吉野という桜は、江戸時代末期に、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種として作り出されたこと。それらが記憶の底にあった。
そんなことから、本作が江戸時代、文化・文政期に、新次とおりんの夫婦が向嶋で営む「なずな屋」という植木屋が舞台になっていて、植木職人、花師である新次が主人公でおりんが甲斐甲斐しく新次を助けていくという設定が親しみやすかった。さらに花師という職人の世界を扱っていることに興味を抱いた。この分野の職人を扱う小説を読むのは初めてである。初物の楽しみ。
駒込染井にある霧島屋という江戸城にお出入りする植木商に植木職人として奉公し、六代当主、伊藤伊兵衛政澄みの一人娘、理世とも花師となるべく共に修業を積んでいた新次がこの小説の主人公である。新次は霧島屋を去り、文人墨客が好み大店の寮(別荘)や隠居所が点在する風雅で鄙びた向嶋になずな屋という植木屋をおりんとともに営んでいる。敷地の中心になずな屋の母屋がある。それは元豪農の隠居所だった家屋で三間きり。そこを新次とおりんは住居兼店としている。敷地の周囲を藪椿と櫟の混ぜ垣を低く結い回し、そぞろ歩きの人々も庭の風景が垣間見えるようにしてある。敷地の庭には新次が丹精込めて植木や花々を育成している。苗選びに訪れる客は敷地を巡り、縁側でおりんから番茶の接待を受けるという小体な店である。
新次は「売り物といえども、むざむざ枯らされちゃ花が可哀想だ。それで花いじりが厭になっちまうお客にも気の毒だ。だから売り放しにはしねぇ、どんな相談にも乗るのが尋常だ」(P12)とおりんに言い暮らす職人肌の花師。一方、おりんは生家が浅草の小間物屋であるが、事情があり生家を出た後は深川の伯母の家で裁縫やお菜ごしらえを教わりながら過ごした後、手習いを教えるようになった。新次が名付けた新種の花の名の清書を頼まれたことがきっかけとなり、気がつけば、おりんは新次の女房になっていた。おりんは売り物の苗に「お手入れ指南」といういわばマニュアル文を添えることを考案し、墨書したものを添付するようになった。それが客から評判がいい。おりんのからりとした明るい性格と工夫心が実に良い。
こんな夫婦の「なずな屋」物語。出だしからなかなか好い雰囲気・・・・・。引きこみかたが巧い。
さて、ストーリーの第一幕は、向嶋の隠居所に住む日本橋駿河町の太物問屋、上総屋の隠居の六兵衛がなずな屋を訪れてきたことから始まる。お手入れ指南の片隅に三月に売り出す花の広目(宣伝)の書き入れをどこかで目にした六兵衛が頼み事にきたのである。
新次の生み出した発売予定の新種の桜草を小鉢に仕立てたものを、快気祝いの引き出物にしたいという。配る相手は見舞いに訪れて励ましてくれた俳諧仲間なのだ。
小鉢の選択は新次に任され、桜草30鉢の納入。鉢の代金を含め総額30両までは掛けようと言う。勿論、新次は有難く引き受ける。六兵衛が気に入った桜草は問題ない。それにマッチする小鉢をどうするか。そこからこの納品までの紆余曲折が始まっていく。
このストーリーに、しばしば新次の幼馴染みである大工職人留吉一家が絡んでくる。女房のお袖との間に男の子二人がいるが、留吉とお袖の間ではいざこざが絶えない。その仲裁役を新次に振ってくるのだ。おりんがお袖のために去状を代筆することに発展する位である。勿論、お袖がそう簡単に離縁する訳ではないのだが・・・・・。この一家の関わりがいわば1つのサイド・ストーリーになっていき、楽しませてくれる。そこには江戸市井の庶民の感覚が溢れている。
新次の悩みを手助けしておりんが桜草の納品に絡んで出したアイデアが、留吉を巻き込むことにもなる。この後も、留吉・お袖夫婦が幾度も登場してきて面白味を加える。
もう1つ、サイド・ストーリーが織り込まれていく。それは六兵衛の孫でいずれ上総屋の跡取りとなる辰之助に関わる話である。最初、なずな屋まで六兵衛に奇妙な形で同行してきたときから始まる。凡人からみれば、辰之助の波乱含みの生き方が節々で描かれつつ、新次との関わりが深まっていく。その関わりが1つの読ませどころになっていく。
さて、メイン・ストーリーの第二幕がタイトルの「花競べ」になる。
桜草の小鉢もので縁ができた六兵衛が、その話を新次に持ち込んで来る。
花の好事家の集まりである「是色連(コレシキレン)」により、3年に一度、重陽の節句の翌日の9月10日に「花競べ」が行われる。勝ち抜き式の評定(審査)は浅草寺の本堂で行われる。この花競べに新次に出品して欲しいと六兵衛が頼みに来るのだ。出品のお勧めではなく依頼という所に、この第二幕の眼目があった。六兵衛は是色連にも関係していた。
六兵衛は新次に言う。「有り体に申しましょう。このままでは、霧島屋さんは大変なことになる」(P99)と。さらに、その内情については探りをいれている段階だともらす。
霧島屋は新次が花師の修業をした花の世界では特別な家。霧島屋の一人娘の理世と切磋琢磨した場所でもあった。現在の当主は七代目伊藤伊兵衛治親。5年前に理世の婿養子となった。元500石取りの旗本の三男坊である。彼の野心と行動が問題となっていた。
新次は六兵衛の依頼を受け、何を出品するかについて工夫を重ねていく。
この頃、新次は日頃雀と呼んでいる子供を預かっていた。草花の棒手振(行商人)を生業とする栄助の子である。栄助は売り物にする苗の仕入れでなずな屋に出入りするようになり、栄助は育種について新次に教えを受けてもいた。栄助は商いで上州に旅をするのでしばらく預かって欲しいと、子を託して行ったのだ。そして、音沙汰を絶つ。
子がいない新次・おりん夫婦にとって、雀は家族の一員のようにもなり、新次の弟子の立場にもなっていく。
この雀は、新次が花競べに出品する作品の名付け親となるとともに、第二幕から始まるサイド・ストーリーの1つになっていくとだけ述べておこう。お楽しみに。
9月10日、花競べの場で、新次は理世と再会する。新次と理世の微妙な関係性、この点もまたこのストーリーの読ませどころとなる側面である。この小説に織り込まれた秘やかな花物語と呼べるサイド・ストーリーかもしれない。
メイン・ストーリーには、第三幕がある。
その翌年の半ばに、新次は駒込染井にある藤堂家の下屋敷から用命を受ける。
用人の稲垣頼母からの要件は、毎年2月15日に大勢の客を招いて、殿が仲春の宴を催される。下屋敷の東庭が宴に使われる。野遊びの趣向で100坪の庭を仕立てよというのが新次に名指しで依頼されたのである。
頼母は言う。「霧島屋になら遠慮は不要ぞ。主庭と北庭は霧島屋にすべて任せているが、東庭は宴にしか使わないものでな。腕利きの庭師や花師にも広く機会を与えてやるよう、殿の仁恵である。むろん、霧島屋には某から筋を通してあるゆえ、安心いたせ」(p166)
新次はこの仕事に花師としての思いと手持ちの植物類を注ぎ込む。だが、この仕事の依頼には、用人の知らぬ次元で裏のカラクリが潜められていた。
このストーリー、最後はそれぞれのサブ・ストーリーのエンディングが重ねられていく。メインである花師新次のストーリーは、吉野桜で締めくくられる。このエンディングへのプロセスが読ませどころといえる。
この最終段階全体を第四幕というべきかも知れない。
松平定信まで登場して来る。その定信が良い役割を担っているのだ。そこがおもしろい。
ご一読ありがとうございます。
補遺
第二章 独自の園芸の展開 :「NDLギャラリー」(国立国会図書館サーチ)
描かれた動物・植物-江戸時代の博物誌-
草木に1億円!江戸の園芸ブームは数々の品種を生み出していた :「はな物語」
江戸のガーデニングブームはなぜ起きた?一番人気だった花とは :「AERAdot.」
展覧会 花開く 江戸の園芸 :「江戸東京博物館」
染井吉野 :「桜図鑑」
ソメイヨシノ :「庭木図鑑 植木ペディア」
ソメイヨシノと‘染井吉野’はちがう?!意外と知らない桜の真実 :「HONDA」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『悪玉伝』 角川文庫
『ボタニカ』 祥伝社
『朝星夜星』 PHP
「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 8冊
文庫本の解説の冒頭を読むと、本書が著者のデビュー作、しかも初めて書いた小説だったという。小説現代長編新人賞奨励賞を受賞した作品である。
当初、2008年10月に『実さえ花さえ』の題で単行本が刊行された。それに加筆、改題して、2011年12月に文庫化されている。
かなり前に、何の本だったか忘れたが、江戸時代に朝顔が園芸品種として盛んに栽培されその交配により様々な新種が生み出されたこと。園芸が一種の流行となっていて、下級武士層の内職仕事になっていた側面もあったこと。今では見られない品種も存在したことを読んだ記憶がある。また、染井吉野という桜は、江戸時代末期に、オオシマザクラとエドヒガンの交雑種として作り出されたこと。それらが記憶の底にあった。
そんなことから、本作が江戸時代、文化・文政期に、新次とおりんの夫婦が向嶋で営む「なずな屋」という植木屋が舞台になっていて、植木職人、花師である新次が主人公でおりんが甲斐甲斐しく新次を助けていくという設定が親しみやすかった。さらに花師という職人の世界を扱っていることに興味を抱いた。この分野の職人を扱う小説を読むのは初めてである。初物の楽しみ。
駒込染井にある霧島屋という江戸城にお出入りする植木商に植木職人として奉公し、六代当主、伊藤伊兵衛政澄みの一人娘、理世とも花師となるべく共に修業を積んでいた新次がこの小説の主人公である。新次は霧島屋を去り、文人墨客が好み大店の寮(別荘)や隠居所が点在する風雅で鄙びた向嶋になずな屋という植木屋をおりんとともに営んでいる。敷地の中心になずな屋の母屋がある。それは元豪農の隠居所だった家屋で三間きり。そこを新次とおりんは住居兼店としている。敷地の周囲を藪椿と櫟の混ぜ垣を低く結い回し、そぞろ歩きの人々も庭の風景が垣間見えるようにしてある。敷地の庭には新次が丹精込めて植木や花々を育成している。苗選びに訪れる客は敷地を巡り、縁側でおりんから番茶の接待を受けるという小体な店である。
新次は「売り物といえども、むざむざ枯らされちゃ花が可哀想だ。それで花いじりが厭になっちまうお客にも気の毒だ。だから売り放しにはしねぇ、どんな相談にも乗るのが尋常だ」(P12)とおりんに言い暮らす職人肌の花師。一方、おりんは生家が浅草の小間物屋であるが、事情があり生家を出た後は深川の伯母の家で裁縫やお菜ごしらえを教わりながら過ごした後、手習いを教えるようになった。新次が名付けた新種の花の名の清書を頼まれたことがきっかけとなり、気がつけば、おりんは新次の女房になっていた。おりんは売り物の苗に「お手入れ指南」といういわばマニュアル文を添えることを考案し、墨書したものを添付するようになった。それが客から評判がいい。おりんのからりとした明るい性格と工夫心が実に良い。
こんな夫婦の「なずな屋」物語。出だしからなかなか好い雰囲気・・・・・。引きこみかたが巧い。
さて、ストーリーの第一幕は、向嶋の隠居所に住む日本橋駿河町の太物問屋、上総屋の隠居の六兵衛がなずな屋を訪れてきたことから始まる。お手入れ指南の片隅に三月に売り出す花の広目(宣伝)の書き入れをどこかで目にした六兵衛が頼み事にきたのである。
新次の生み出した発売予定の新種の桜草を小鉢に仕立てたものを、快気祝いの引き出物にしたいという。配る相手は見舞いに訪れて励ましてくれた俳諧仲間なのだ。
小鉢の選択は新次に任され、桜草30鉢の納入。鉢の代金を含め総額30両までは掛けようと言う。勿論、新次は有難く引き受ける。六兵衛が気に入った桜草は問題ない。それにマッチする小鉢をどうするか。そこからこの納品までの紆余曲折が始まっていく。
このストーリーに、しばしば新次の幼馴染みである大工職人留吉一家が絡んでくる。女房のお袖との間に男の子二人がいるが、留吉とお袖の間ではいざこざが絶えない。その仲裁役を新次に振ってくるのだ。おりんがお袖のために去状を代筆することに発展する位である。勿論、お袖がそう簡単に離縁する訳ではないのだが・・・・・。この一家の関わりがいわば1つのサイド・ストーリーになっていき、楽しませてくれる。そこには江戸市井の庶民の感覚が溢れている。
新次の悩みを手助けしておりんが桜草の納品に絡んで出したアイデアが、留吉を巻き込むことにもなる。この後も、留吉・お袖夫婦が幾度も登場してきて面白味を加える。
もう1つ、サイド・ストーリーが織り込まれていく。それは六兵衛の孫でいずれ上総屋の跡取りとなる辰之助に関わる話である。最初、なずな屋まで六兵衛に奇妙な形で同行してきたときから始まる。凡人からみれば、辰之助の波乱含みの生き方が節々で描かれつつ、新次との関わりが深まっていく。その関わりが1つの読ませどころになっていく。
さて、メイン・ストーリーの第二幕がタイトルの「花競べ」になる。
桜草の小鉢もので縁ができた六兵衛が、その話を新次に持ち込んで来る。
花の好事家の集まりである「是色連(コレシキレン)」により、3年に一度、重陽の節句の翌日の9月10日に「花競べ」が行われる。勝ち抜き式の評定(審査)は浅草寺の本堂で行われる。この花競べに新次に出品して欲しいと六兵衛が頼みに来るのだ。出品のお勧めではなく依頼という所に、この第二幕の眼目があった。六兵衛は是色連にも関係していた。
六兵衛は新次に言う。「有り体に申しましょう。このままでは、霧島屋さんは大変なことになる」(P99)と。さらに、その内情については探りをいれている段階だともらす。
霧島屋は新次が花師の修業をした花の世界では特別な家。霧島屋の一人娘の理世と切磋琢磨した場所でもあった。現在の当主は七代目伊藤伊兵衛治親。5年前に理世の婿養子となった。元500石取りの旗本の三男坊である。彼の野心と行動が問題となっていた。
新次は六兵衛の依頼を受け、何を出品するかについて工夫を重ねていく。
この頃、新次は日頃雀と呼んでいる子供を預かっていた。草花の棒手振(行商人)を生業とする栄助の子である。栄助は売り物にする苗の仕入れでなずな屋に出入りするようになり、栄助は育種について新次に教えを受けてもいた。栄助は商いで上州に旅をするのでしばらく預かって欲しいと、子を託して行ったのだ。そして、音沙汰を絶つ。
子がいない新次・おりん夫婦にとって、雀は家族の一員のようにもなり、新次の弟子の立場にもなっていく。
この雀は、新次が花競べに出品する作品の名付け親となるとともに、第二幕から始まるサイド・ストーリーの1つになっていくとだけ述べておこう。お楽しみに。
9月10日、花競べの場で、新次は理世と再会する。新次と理世の微妙な関係性、この点もまたこのストーリーの読ませどころとなる側面である。この小説に織り込まれた秘やかな花物語と呼べるサイド・ストーリーかもしれない。
メイン・ストーリーには、第三幕がある。
その翌年の半ばに、新次は駒込染井にある藤堂家の下屋敷から用命を受ける。
用人の稲垣頼母からの要件は、毎年2月15日に大勢の客を招いて、殿が仲春の宴を催される。下屋敷の東庭が宴に使われる。野遊びの趣向で100坪の庭を仕立てよというのが新次に名指しで依頼されたのである。
頼母は言う。「霧島屋になら遠慮は不要ぞ。主庭と北庭は霧島屋にすべて任せているが、東庭は宴にしか使わないものでな。腕利きの庭師や花師にも広く機会を与えてやるよう、殿の仁恵である。むろん、霧島屋には某から筋を通してあるゆえ、安心いたせ」(p166)
新次はこの仕事に花師としての思いと手持ちの植物類を注ぎ込む。だが、この仕事の依頼には、用人の知らぬ次元で裏のカラクリが潜められていた。
このストーリー、最後はそれぞれのサブ・ストーリーのエンディングが重ねられていく。メインである花師新次のストーリーは、吉野桜で締めくくられる。このエンディングへのプロセスが読ませどころといえる。
この最終段階全体を第四幕というべきかも知れない。
松平定信まで登場して来る。その定信が良い役割を担っているのだ。そこがおもしろい。
ご一読ありがとうございます。
補遺
第二章 独自の園芸の展開 :「NDLギャラリー」(国立国会図書館サーチ)
描かれた動物・植物-江戸時代の博物誌-
草木に1億円!江戸の園芸ブームは数々の品種を生み出していた :「はな物語」
江戸のガーデニングブームはなぜ起きた?一番人気だった花とは :「AERAdot.」
展覧会 花開く 江戸の園芸 :「江戸東京博物館」
染井吉野 :「桜図鑑」
ソメイヨシノ :「庭木図鑑 植木ペディア」
ソメイヨシノと‘染井吉野’はちがう?!意外と知らない桜の真実 :「HONDA」
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『悪玉伝』 角川文庫
『ボタニカ』 祥伝社
『朝星夜星』 PHP
「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
2022年12月現在 8冊