珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ネットにまつわるあれこれ39

2019-11-25 | ネットにまつわるあれこれ
ネットにきてから鍛えられたこと。
これを一言でいえば「すべてを真に受けないこと」だろうか。
最初はなかなかこれができなかったし、できても全然足りなかった。
なんていうのかな。
面白おかしい言葉って、そうだそうだと、くすぐられやすいというのかな。

今はこれは相当に大事と思っている。
サイトにもよるけど、真に受けるのは半分以下くらいでいいと思っている。
そして以前も書いたけど、発信者と受けてはイーブン。
こう言った、ああ書いてあるを一方的に問うのではなくて、読む側の責任も同等と思っている。

これはSアンチブログの悪口のつもりはなくて、あくまで「読み方として」書きたいと思う。
例えばアンチの書き込みでは、財務の指導は、
お金は出せば出すほど幸せになれると言われたなんてのが定番である。
でも私の記憶では、まともな人ならそんな指導はしていなかった。
仮に誰かがそんな言い方をしたら「それは違う、金額じゃない」という声がちゃんとあった。
そういう言い方や、受け取り方をしていた人はいたかもしれないけど、それだけじゃなかったし、それを厳しく否定(或いはやんわり否定)する指導もそれ以上にあった。

「お金は出せば出すほど幸せになれる」なんていう人もいた。だから嘘ではない。
そういう理屈だとしても、嘘ではないからそれがSの事実であり、これが全てというのは違う。

こんな例は山のようにあって、アンチに都合のいい「それは確かに誰かが言ったかもしれないけど」という言葉ばかりが(だから嘘じゃないし実体験だ)これでもかと連呼される。
他のこれに不都合になる声は、あっても絶対に書かれない。
多くの言葉の中で皆が首を傾げた言葉ほど、さも多くが盲信していたようにはやしたてられるように書かれる。

それがダメといっているんじゃなくて、ネットの書き込みってそういうものと思う。

読むと書くは対等だと、改めてしみじみ……
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やりたかったらやっている2

2019-11-25 | 日記
私の田舎の親友のボヤキを書く。
夏になると虫が入ってくるから玄関でお香を多めに炊いていたら、噂好きのおばちゃんが
「あそこの家は怪しい活動を始めた」と言ってまわっていた。

子どもが小さい時、着られなくなった服を私に送っていたら
「送料を使ってわざわざそんな遠方に送るなんてもったいないわよ。ならウチの子に頂戴。
前着ていたあの高級そうなふわふわのはどうしたの?もう着られないんでしょ?」

そういうことを要求する上に、自分からかけてきた電話を言いたいことを言ったら、先にガチャンと切る。
「そのガチャン!!を幾度となく聞くたびに、どんだけ人の精神を消耗するか当人は全くわかっていない(-゛-メ)」
「あのね、やりたいことがあったら好きにやるし、服もアンタにあげたいならとっくにそうしてるわ!!」
 「人の行動を決めつけるのやめてくれる?」


言いたいことは二点。
①その下世話な想像と思い込みをやめてください。
私はあなたの的外れな決めつけとは無関係の、やりたいことをやっているだけ。

②こういう人はどこにでもいる。
ちなみにこれは、一般人が一般人の非常識を、かつての婦人部に嘆いたエピソードですよ?

非常識に婦人部も男も一般も関係ないんですよ。
例えば「あなたの会社のお局様」「あなたのご近所の迷惑オバサン」なんてクグッたら、似たようなボヤキはどんだけでもあります。
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