ずっとずっと前から思っているんだけど、殆どの人が何故か「人にフォーカスしすぎる」
こちとら意見にフォーカスしているだけなのに、一つ意見が合ってうっかり「××さんいいよね」と言おうものなら
オマエ××がいいねと言ったよな?いったよな?ほーら言った、確かに言った!!じゃあこれはどうなんだよ?××が言ってるよ?××はこう言ってるよ?それもいいってことだよね?見る目ないね、節穴だね。そんなのに依存しちゃって、やーいやーい。
ネットの言い合いって、だいたいがコレ🤣🤣
自分では気が付いていないかもしれないけど、それって「人」に興味がありすぎなんだって。
(個人的には、誰か個人に入れ込みすぎた経験でもあるの?教祖さまとか?と思っちゃう)
そもそも、何から何まで自分と寸ぶ違わず一緒な人なんているの?
パートナーや我が子や親友のような、めちゃ大切に思う人でさえ、考え方の何から何まで同じなんて人がいたら、それこそ「連れてこい」だよね。
「その意見、めっちゃわかる!!サイコー」と言ったら、教祖と信者であり、依存であり、全面服従であり、人との距離感はそれかアンチの二極しかないって、いったい何のトラウマよ?
さっさと捨てた方がいいよ、そんな独特の記憶。
ただのブロガーと読者が、ちょっと和気あいあいとしているだけで「教祖と信者」で、ちょっと意見が合わないと「揉めた離れた」で、この世は依存かアンチの二極しかないみたなやつ。
「ここは合うけどここは合わない」なんて当たり前なのに、坊主憎けりゃ袈裟まで、一回褒めたらゾッコンはめんどくさいよね。
100%どころか、アンチになってからの発言を聞くと大きく頷いてい人ほど、半分以上は不満だらけだった。
バリ活ほど、他の人が知らない闇や不祥事までよく知っていたし。
でも口を開けば、人一倍絶賛していたのは何故かしらね?