珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

改めてチョイ活とは?

2020-07-05 | S教団関係
「チョイ活」という言葉を作ったのは一応、私と思う。(対話ブログでのコメントで書いたのがきっかけ)
どうでもいいことだけど、改めて確認しておくと、チョイは「チョイとした」とか「軽く」という意味ではなくて、選んだという意味の「チョイス」の略である。

選ぶと言っても「好きなことだけ」「ラクなことだだけ」という意味ではなく、
これは以前も書いたように、チョイ信であった故のチョイ活ということ。
つまり、Sの中で見聞きしたことの何でもかんでもを信じていたわけではなくて、個人的に信じたものだけを活動したということである。
決して大変なことは逃げてやらなかったとか、面倒なことは人に押し付けて上っ面だけチョチョッとやってるふりをした、という意味ではない。
信じたものなら大変なことでも変一生懸命やった。
(ちなみに私は「ふり」というものが嫌いな性分である)

例えば「S活動こそが信心である」とか「疑ったら罰が当たる」とか「活動で使ったお金は戻ってくる」とか「役職は断ってはいけない」なんてことは私は信じなかったし、信仰とは無関係と思ったから受け流していた。
ネーミング者からいえばそういうことである。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
« マスコミ ボー然!日本を騒が... | トップ | 怒りの矛先2 »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2020-07-06 10:45:12
「信じるものを選んでいたチョイ信ゆえに、活動がチョイスされた」(海辞典)という意味が、ラクなことだけチョイスしていた身勝手な活動家」という意味で使われたら心外ですね。
もしかしてそういう「チョイ活」もいたのかもしれないけど、私がこの言葉を作った時の意味は違います。
まあ一度書いておきました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

S教団関係」カテゴリの最新記事