来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
「社会主義国家」のもっていたロマンは今いずこ?
私たち世代の者で、多少政治や世界について関心を持っていた者は「社会主義国家」へのある種のロマンをもっていたと思う。
「空想より科学へ」とか「共産党宣言」などを読み、人間社会は歴史の必然的な流れによって、搾取のない社会の仕組み。、すなわち社会主義社会に進む、といった一種のロマンだ。これは1950年代後半から60年代前半だった。
しかしその後の歴史の流れは、このようなロマンを抱き続かせてくれる国はひとつずつ消えていった。
そして今、中国、ロシア、北朝鮮と、どれもこれもロマンとは全くウラハラの様相を示してくれている。独裁、国民の疲弊と格差、人権無視、対外的非平和政策などなど。
ロシアも中国も、北朝鮮も過去の遺物ともいうべき専制国家まるだしではないのか。政府批判の言論を抑圧し、自分たちに反対の立場の政治的な動きは徹底して抑えていく、そんな政治の姿に、「あのころもった社会主義国家へのロマンはどうなったのだろう?」と嘆きたくなる。
そもそもマルクスやエンゲルス、あるいはレーニンたちが描き続けた社会主義・共産主義の理想は人びとをごまかすだけのリクツだったのだろうか。
もしマルクスたちが地上に姿を見せることになったら、何というのだろう。
「よしよし、社会主義よく進んでいるな」か
「オレの言っていたことを全く活かしてくれていない。ジョウダンじゃない」か
「こんな政治と社会なら資本主義の社会の方がはるかにいいのでは。オレと同志エンゲルスが身命を賭して取り組んできた理論を受け継ぐことのできた人間はいなかったのか」か、
それともどういう感想もいわずただ涙を隠して、姿も隠すことになるだろうか。
「空想より科学へ」とか「共産党宣言」などを読み、人間社会は歴史の必然的な流れによって、搾取のない社会の仕組み。、すなわち社会主義社会に進む、といった一種のロマンだ。これは1950年代後半から60年代前半だった。
しかしその後の歴史の流れは、このようなロマンを抱き続かせてくれる国はひとつずつ消えていった。
そして今、中国、ロシア、北朝鮮と、どれもこれもロマンとは全くウラハラの様相を示してくれている。独裁、国民の疲弊と格差、人権無視、対外的非平和政策などなど。
ロシアも中国も、北朝鮮も過去の遺物ともいうべき専制国家まるだしではないのか。政府批判の言論を抑圧し、自分たちに反対の立場の政治的な動きは徹底して抑えていく、そんな政治の姿に、「あのころもった社会主義国家へのロマンはどうなったのだろう?」と嘆きたくなる。
そもそもマルクスやエンゲルス、あるいはレーニンたちが描き続けた社会主義・共産主義の理想は人びとをごまかすだけのリクツだったのだろうか。
もしマルクスたちが地上に姿を見せることになったら、何というのだろう。
「よしよし、社会主義よく進んでいるな」か
「オレの言っていたことを全く活かしてくれていない。ジョウダンじゃない」か
「こんな政治と社会なら資本主義の社会の方がはるかにいいのでは。オレと同志エンゲルスが身命を賭して取り組んできた理論を受け継ぐことのできた人間はいなかったのか」か、
それともどういう感想もいわずただ涙を隠して、姿も隠すことになるだろうか。
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