お悔やみ欄

私は、新聞の各面で最も真剣に見る箇所は「お悔やみ欄」。知っている人の名がないと「よかった」と独りでうなづく。逆に、年に何度かは友人・知人の名を見ることがある。いいようのない寂しさを感じる。
かつて、短歌教室に通っていたときに、こういう歌を提出した。
「若き日に肩組み合って明日の世を 語りし友はお悔やみの欄に」。
文字どおりの意味だ。お悔やみ欄でかつての知人・友人の名をみたときに「次はオレの番だな」と心の中でつぶやく。さきの歌のとおりだ。

若いころ、共に世のため人のため、という趣旨で共に行動したことがあった(◎○反対、とか×△を実現せよ、など)。共に語り合った友人たちが一歩先に鬼籍に入るとは、と。

今日、年賀状をつくった。友人・知人の住所録で「忌」とか「喪」などの文字を備考欄に記入しているが、これもまた上の意味を重ねて思う今日だった。
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