来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
フリースクールは公教育の敗北を示す?
この数日間、少なからず重要な立場にある2つのグループの人たちと会った。詳細は言えないのだが、まずAグループの人たちが学園に来てくれたことに関しての話である。この人たちのトップがいうには「フリースクールに参加する人たちが減らないのは公教育の敗北を示すのでは…」と。私は「そんなことはないです。というよりフリースクールの役割を評価することは公教育の裾野を広げることになると受けとめていただきたい」という意味のことを言った。このトップに当たる人の発言は案外多くの人の認識かも知れないと思う。逆に言えば「フリースクール」は仕方のない存在であり、今の学校教育の穴を埋めているに過ぎない、そんなことではないか。今日の学校教育がうまく機能しているならフリースクールなどいらないのだ、ということである。
この一般的(?)理解は、フリースクールを求める子どもたちに「普通の子どもではない」気持ちを強いていることになる。フリースクールもまた公教育の一翼であるという理解が広がれば、こういうマイナスの感情をはじくことができるのではないか。
先日のJDECの中に「オルタナティブ教育法」の制定を提起していこうという決議の意味の大事さをあらためて確認した気持ちである。
※ 数日前のブログでJDECについて触れている。
それにしても「子どもの権利条例」がいう子どもたちにとって最善の利益に通じる施策を貫くということは簡単ではないと痛感する。そこそこ「革新的」と思われるあっちこっちの人の不十分さを、「他山の石」として持ち続けたい。
もうひとつのグループの人たちとこれからの不登校やフリースクールの可能性について意見の交換をした。いわゆる「官僚」の一人に位置づくBさんたちが子どもの利益を大事にしていることを再確認することができた。
そしてフリースクールに子どもを通わせている母たちの気持ちの強さを再確認した。
「再確認」を何度も言うようでは、私自身もまた不十分だと感じた今日この時。
この一般的(?)理解は、フリースクールを求める子どもたちに「普通の子どもではない」気持ちを強いていることになる。フリースクールもまた公教育の一翼であるという理解が広がれば、こういうマイナスの感情をはじくことができるのではないか。
先日のJDECの中に「オルタナティブ教育法」の制定を提起していこうという決議の意味の大事さをあらためて確認した気持ちである。
※ 数日前のブログでJDECについて触れている。
それにしても「子どもの権利条例」がいう子どもたちにとって最善の利益に通じる施策を貫くということは簡単ではないと痛感する。そこそこ「革新的」と思われるあっちこっちの人の不十分さを、「他山の石」として持ち続けたい。
もうひとつのグループの人たちとこれからの不登校やフリースクールの可能性について意見の交換をした。いわゆる「官僚」の一人に位置づくBさんたちが子どもの利益を大事にしていることを再確認することができた。
そしてフリースクールに子どもを通わせている母たちの気持ちの強さを再確認した。
「再確認」を何度も言うようでは、私自身もまた不十分だと感じた今日この時。
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