来し方、行く末に思いを続けて…
日記 … Kametarou Blog
大人の引きこもり問題等
先日の川崎での殺傷事件は、周知のように51歳の岩崎某が全く関係のない子どもたち19人を襲い、小6の女児と大人の男性を死亡させ、多数の人たちに重軽傷を負わせた。岩崎はいわば自殺するのに多数の子どもたちを同行させようとした事件だった。
これをめぐって「死にたいなら自分だけで勝手に死ねよ。全く無関係の子どもや一般の人を巻き添いにするなど許せない」といった批判が当然だが出ている。私などもこの事件を知った直後はこういう怒りの気持ちだった。
しかしいろいろ考えてみると、この岩崎は長年いわゆる「引きこもり」の状況にあったという。これを知って私たちが長年関わってきた不登校の子どもたちのこころを推測した。「自分の生きる道」が分からない、「どうせ自分なんて生きていてもどうしようもない」などという自己否定感に悩まされている子どもたちだ。岩崎もそういう気持ちに長年悩んできていたのではないだろうか。仕事に行きたくても行けない、社会に存在価値のある人として生きたい、と思ってもどうしようもない。
「自殺」という道でしか自分の未来を想定できない、そのためにできるだけ多くの人(子どもならむしろ都合がいい。相手にしやすい)を道連れにしよう、と思ったのだろう。
こういう形での自己表現(という語が適切かどうかは分からないが)の一つだったのだろう。
今後こういう事件が起きないようにするためには、日頃の児童保護の諸策は当然であるが、社会から精神的あるいは体験的に隔絶する立場に自己を押し込めている、いわゆる引きこもりの大人たちへの社会的支援の仕組みを作らなければならないのではないだろうか。
8050(はちまるごまる)問題という語がある。80歳の親が50歳の自分の子どもの面倒を見るということ。今回の事件はまさにこの問題の悲劇的結末だ。
不登校の児童生徒が子どもの数が全体として減っているのにもかかわらず漸増しているのだ。大人の引きこもりは、2010年の数字で全国70万、この予備軍を含めると200万人以上だという。これも、どうも50歳代までは含んでいないらしい。要するに問題の深刻さが関係する行政の立場からも意識されていないのではないか。
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